日本語と日本文化


川本三郎の「村上春樹論集成」を読む


川本三郎氏といえば荷風の大ファンとして知られている。大著「荷風と東京」は、氏の荷風への思い入れがぎっしりと詰まった労作で、荷風という人物像に新しい光を当てるとともに、荷風が生きた東京について、素晴らしい情報を提供してくれる。この本は一時記大流行した「東京論」ブームに火をつける役割を果たしたのだった。

やはり荷風の大ファンであり、なおかつ東京という街にこだわってきた筆者は、そんな川本氏に親近感を抱いてきたのだが、親近感を増幅させるような要素がもう一つ増えそうだ。村上春樹のファンであるという共通項が成り立ちそうなのだ。

氏は村上春樹が作家としてデビューする以前から知っていたようだ。村上が経営していた都内のジャズ喫茶に、ユリイカの編集者小野好恵さんに何度か連れて行ってもらったらしいのだ。その頃の村上春樹は無口なマスターで、いつも店の隅っこでペーパーバックを読んでいたという。

その村上春樹が「風の歌を聴け」で作家デビューすると、川本氏は早速惚れ込んでしまった。ノンシャランな文体に、アメリカの同時代人と同じ世界を生きているという、一種のコスモポリタン的な感覚を感じとったからだ。

川本氏は昭和19年の生まれで、24年の早生まれ、つまり団塊の世代に属する村上春樹とは多少の年齢差があるが、感性の在り方といった点では、共通するものを感じたらしい。それが、氏が村上春樹にのめり込んだ要因なのだろう。

とにかく氏の村上春樹に対する共感は、並大抵のものではない。次のような文章を読むと、まるでラブ・レターを読まされているような感じになる。

「村上春樹はワープロは持っていない。村上春樹は猫を飼っている。村上春樹はヤクルト・スワローズが好きだ。村上春樹は車の免許を持っていない。朝の6時に起きてジョギングをする。村上春樹の猫はシャムネコである。村上春樹には子供はいない。」

こんな調子の賛辞が延々と続くのだが、いったいこんなことがらのどこが、作家の評価に本質的な係わりがあるのだろうか、そんな風にも思ってしまうのだが、書いている当人にとっては、どれも村上春樹を理解するうえで本質的な事柄なのだろう。

ちょっと気になったのは、川本三郎氏が熱烈に評価する村上春樹はどうも、「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」などの初期の作品に限られるようだということだ。後期の作品にあまり愛着を感じていないことは、取り上げ方を通じてもよくわかる。

この本で言及されている作品には、初期の小説のほか、「羊をめぐる冒険」、「ノルウェイの森」、「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」などがあるが、氏が最も熱烈に評価するのは「風の歌を聴け」であり「1973年のピンボール」である。「羊をめぐる冒険」がそれにつぐが、「海辺のカフカ」などはあまり高く評価していない。またオウムのサリン事件をあつかった「アンダーグラウンド」などには、拒絶反応のような気持ちを吐露している。

村上春樹本人にしてみれば、こうした評価は片手落ちに思えるだろう。彼自身は「風の歌を聴け」を中途半端で未完成な作品だとして、否定的な態度をとっている。

川本氏と村上氏とは、相思相愛というわけにはいかないかもしれない、そんなことをふと思ったりしたものだ。


    

  
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