日本語と日本文化


村上春樹作「東京奇譚集」を読む


「僕=村上はこの文章の筆者である。この物語はおおむね三人称で語られるのだが、語り手が冒頭に顔を見せることになった・・・どうして僕がここに顔を出したかというと、過去に僕の身に起こったいくつかの、<不思議な出来事>について、じかに語っておいたほうが良いと思ったからだ」

村上春樹の短編小説集「東京奇譚集」は、村上自身の手になるこんなプロローグで始まる。こうすることで、これから村上が語り始めるいくつかの物語が、題名の暗示するような、荒唐無稽な奇譚なのではなく、一定のリアリティをもった出来事であることを、是非読者にも理解して欲しいと思ったからなのだろう。そうすることで、小説家としての村上の価値に、どれほどの変化が起こるのか、筆者などにはあずかり知らぬことではあるが。

この短編小説集は五つの短編小説を収めている。いづれも珍しい出来事を取り上げた奇譚ばかりである。珍しいといって、それが荒唐無稽な作り話でないことは、先述したとおりである。どれも実際に起こったリアルな出来事ばかりなのだ。

一つ目は「偶然の旅人」といって、ゲイであるぼくが、癌で乳房を失う前にあなたとセックスをしたいと願う人妻と、心温まるやり取りをするさまを描いたものだ。ゲイである僕は肉親の姉と長らく絶交していたのだが、ふと電話をしたところ、昔通りの親密さを取り戻すことができた。姉も乳がんで乳房を失おうとしていたのだった。

二つ目は、「ハナレイ・ベイ」といって、ハワイのカウワイ島でサーフィン中にサメに襲われて死んでしまった息子に会うためにやってきた母親を描いたものだ。母親は現地で二人の日本人青年と出会う。その二人が、自分の息子らしい青年をついさっきビーチで見たという。その男は、サメに食われたらしく、片脚がなかった、それを聞いて、息子に違いないと母親は思う。

でもそうだとしたら、なぜ「母親の私には見えないんだろう」と母親は悔しい思いをする。

「それはどう考えても不公平ではないか・・・ねえどうしてなの、そういうのってちょっとあんまりなんじゃないの」こう母親は思うのだ。

三つ目は、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」という題名。急に消えてゐなくなってしまった夫の所在を捜索するよう、ある夫人から仕事を依頼された私立探偵の話だ。依頼を受けた私立探偵は、どこであれ、それが、つまり夫の所在先が、見つかりそうな場所を求めて、彼ら夫婦が住んでいたマンションを捜索する。

そうするうちに、マンションの踊り場で小さな女の子と知り合いになる。女の子も、探偵と同じように、マンションの階段をうろうろと遊びまわっていたのだ。

女の子はいきなり、探偵に話しかけてくる。

「おじさんはたぶん変なひとじゃないよね、と女の子は言った。
「違うと思う。
「急におちんちんを見せたりしないよね?
「しない。
「小さな女の子のパンツ集めたりもしてないよね?
「してない」

女の子は探偵のしていることを聞いて、自分も手伝ってあげるという。しかし彼女に手伝ってもらう前に、依頼人の女から電話がかかってきて、夫が仙台で発見されたと伝えてくる。

四つ目は、「日々移動する腎臓のかたちをした石」と題した、ある作家の物語だ。その作家は父親からの遺言のような形で、人生訓のようなものを聞かされていた。それは、男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいないというものだった。この作家にはいままでに本心から好きになった女が一人だけいた。そこに、新たに別の女があらわれた。作家はこの女がはたしてあの三人の女の一人になりうるのか、感心を抱かずにはいられなかった。

女は作家に、短編小説のネタを聞かせてほしいとねだった。そこで作家は、腎臓の形をした石の物語のあらすじを聞かせてやった。女はそれに興味を抱いたようだった。作家はその興味に応えようと、その物語の完成に努力した。そして完成した時にその喜びを女にも共有してもらおうと電話を入れたが、女はいずかたともなくいなくなっていた。

作家が女の消息に接したのは、タクシーに乗っているときだった。ラヂオからあの女の声が聞こえてきたのだ。女は自分の生きがいについて語っていた。その生きがいとは、高層建築の上で、目のくらむような高さの中で動き回ることだった。女は現実の男より、高さというスリルを恋人にしていたのだった。そんな女の情熱の対象に、作家は激しい嫉妬を感じずにはいられなかった。

五つ目は、「品川猿」といって、不思議な猿の物語である。主人公の女性みずきはある時期を境に自分の名前を思い出せないという、不思議な症状に陥った。彼女は内科の医師をはじめそれらしきところに相談するが、だれも彼女の症状を正確に診断できない。

そのうちに、品川区役所の実施しているという奇妙な精神相談のことを耳にし、そこを訪ねてみた。そこには心理学のカウンセラーがゐて、彼女の話をよく聞いてくれた。

彼女は、昔にさかのぼって、自分の名前に関係することならなんでもよいから、思い出せることをあらいざらい話すように求められた。そこで女学生時代のある不思議な出来事を話した。同じ宿舎に暮らしていた美しい少女から、彼女の名札をあずかってくれるように頼まれたという話だ。その少女は、みずきに名札を預けると、そのまま自殺したのだった。みずきは、その少女がなぜ自分に名札を預けたのか、見当もつかなかったし、何故彼女が自殺したかは、もっとわからなかった。

ともあれみずきは、死んだ友人から預かった名札の存在を公にすることができなくて、結局自分で預かり続けることにしたのだった。

そうこうするうち、カウンセラーが、症状の原因となることがわかりましたと宣言した。彼女はカウンセラーに導かれて、その原因というものを見ることになる。カウンセラーの夫が品川区の土木課長を務めていて、その彼が妻であるカウンセラーと主人公の女性を導いて、区庁舎の一角にある部屋につれていってくれたのだ。

果してその場所についてみると、何が彼女たちを待っていたか。

そこは村上春樹ならではの工夫だ。待っていたのは、一匹の猿だったのだ。しかもこの猿は人間の言葉を理解し、自分でも人間の言葉を話すことができる。猿は主人公の女性に向かって、自分のためにあなたが変な症状に陥ったことに対してお詫びをいいたいと言い出したのだ。

猿は昔からあの少女のことが好きだった、その少女が自殺した後は、せめて少女の名札を手に入れたいと願った。そして散々捜索した結果、その名札がみずきのもとに保管されていることを嗅ぎ付け、それを奪いにみずきの家に押し入った。その際、少女の名札とともにみずきの名札も目にし、それもまた名前が気に入って、つい盗んでしまった。みずきさんが自分の名前を忘れるようになったのは、自分がみずきさんの名札を盗んだことの結果なのだ、そう猿はいった。

村上春樹の熱心な読者なら、こんなシーンに接しても、決して驚きはしないだろう。何しろ、ある日二メートルもある巨大な蛙が現れて、小説の主人公に向かって、まるで人間同士のように話しかけてくるような世界を描く人だ。猿が人間の言葉を話したとしても、一向に不思議ではない。

こうしたわけで、この短編小説集は、村上春樹の神髄がいたるところで輝きを放っている。読んで損をすることのない作品だ。


    

  
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