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草野心平の詩集「富士山」から「作品第肆」


富士山は劫初のときから、巨大な生き物のようにどっしりとすわっているものであるが、またその意味では人間のちっぽけな生命とは正反対な雄大さをかんじさせるものではあるが、時には見る人の近くに寄り添って現れることもある。

そんなひとときの富士の姿を、草野心平が歌ったものが、作品第肆だ。


富士山 作品第肆

  川面(づら)に春の光りはまぶしく溢れ。そよ風が吹けば光りたちの鬼ごつこ葦の葉のささやき。行行子(よしきり)は鳴く。行行子の舌にも春のひかり。 ・

  土堤の下のうまごやしの原に。
  自分の顔は両掌(りようて)のなかに。
  ふりそそぐ春の光りに却つて物憂く。
  眺めてゐた。

  少女たちはうまごやしの花を摘んでは巧みな手さばきで花環をつくる。それをなわにして縄跳びをする。花環が円を描くとそのなかに富士がはひる。その度に富士は近づき。とほくに坐る。

  耳には行行子。
  頬にはひかり。


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