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窓:草野心平の詩集「絶景」から


草野心平の詩集「絶景」には、それ以前の草野の詩に特徴的であったダイナミックなリズムに満ちた詩とは正反対に、静的で抑制の効いた作品が多い。また社会に対する怒りや、アナーキスティックな感情の吐露は影を鎮めて、自然と一体になった心の緩やかな動きを歌ったものが多い。

草野にとって新機軸ともいえるそんな詩風を代表するのが「窓」という作品だ。


窓  草野心平

  波はよせ。
  波はかへし。
  波は古びた石垣をなめ。
  陽の照らないこの入江に。
  波はよせ。
  波はかへし。
  下駄や藁屑や。
  油のすぢ。
  波は古びた石垣をなめ。
  波はよせ。
  波はかへし。
  波はここから内海につづき。
  外洋につづき。
  はるかの遠い外洋から。
  波はよせ。
  波はかへし。
  波は涯しらぬ外洋にもどり。
  雪や
  霙や。
  晴天や。
  億万の年をつかれもなく。
  波はよせ。
  波はかへし。
  波は古びた石垣をなめ。
  愛や憎悪や悪徳の。
  その鬱憤の暗い入江に。
  波はよせ。
  波はかへし。
  波は古びた石垣をなめ。
  みつめる潮の干満や。
  みつめる世界のきのふやけふ。
  ああ。
  波はよせ。
  波はかへし。
  波は古びた石垣をなめ。


歌われているのは波の動きであるから、本来は動的な要素を含んだ作品だ。それなのに読んだ印象は、静謐を感じさせる。動を貫く静、あたかも水墨画に定着された波の動きが、永遠の中に定着しているかのようだ。


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