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草野心平:死んだら死んだで生きていくのだ



筆者が草野心平の詩に親しむようになったのは、宮沢賢治の延長線上においてである。草野心平は、宮沢賢治の作品を生前から評価した数少ない(というよりほとんど唯一の)文学者であり、賢治の詩を同人誌「銅羅」に掲載したりしたほか、賢治の死後その遺稿を整理し、全集の形にして後世に伝えた人である。彼の存在がなかったら、宮沢賢治が偉大な文学者として日本人の心の中に定着することはなかったかもしれない。

詩の性質、あるいは色気という点では、草野心平は宮沢賢治とはだいぶ趣が違っている。賢治の詩は、一部の叙情的な作品はともかくとして、一種の壮大な世界観を反映している。

宮沢賢治は自然や人間を、そのあるがままの姿で映し出す詩人というよりは、自分の心の中にあるフィルター(独自の世界観に支えられたもの)を通した上で歌うタイプの詩人だ。賢治はその心の中のフィルターにうつされたものを心象のスケッチとよんでいた。心象スケッチの本質が何であるかは、賢治をテーマにした筆者の別稿を参照いただきたい。

これに対して草野心平には、明確な世界観というものがあるのかどうか、はなはだ疑問だ。彼は世界観をもとにして世界を解釈するというタイプの人間ではなく、自分の感性に寄りかかって世界を受け止めるタイプの詩人だといったほうが適切だろう。

草野心平にも、世界観らしいものがなかったわけではない。だがそれは体系的なものというより、反体系的なものだった。彼の出発点はアナーキズムだったが、アナーキズムとは畢竟、世界観を拒否するところに成り立つものだ。

草野心平の多くの詩に見られる、感情を直接に爆発させるような方法は、こうした態度に発している。彼は自分がうけとめたものを、自分の感性で咀嚼して、それを爆発させるようにして表出する、あるいは排泄するのである。

草野心平の詩は創造ではなく、排泄の行為といってよいような側面がある。つまり世界を材料にして、そこから新しいものを作り出すというのではなく、世界を自分の身体で消化して、その残存物を身体の底から排泄するのである。だから彼の詩には彼なりの匂いが染み付いているわけだ。

ここに草野心平の初期の詩をひとつ紹介しよう。詩集「第百階級」の中に収められた一篇だ。


ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉 草野心平               

  痛いのは当り前じゃないか。
  声をたてるのも当りまへだらうじやないか。
  ギリギリ喰はれているんだから。
  おれはちっとも泣かないんだが。
  遠くでするコーラスに合はして歌ひたいんだが。
  泣き出すことも当り前じゃないか。
  みんな生理のお話じゃないか。
  どてっぱらから両脚はグチヤグチャ喰ひちぎられてしまって。
  いま逆歯が胸んところに突きささったが。
  どうせもうすぐ死ぬだらうが。
  みんなの言ふのを笑ひながして。
  こいつの尻っぽに喰らひついたおれが。
  解りすぎる程当然こいつに喰らひつかれて。
  解りすぎる程はっきり死んでゆくのに。
  後悔なんてものは微塵もなからうじゃないか。
  泣き声なんてものは。
  仲間よ安心しろ。
  みんな生理のお話じゃないか。
  おれはこいつの食道をギリリギリリさがってゆく。
  ガルルがやられたときのやうに。
  こいつは木にまきついておれを圧しつぶすのだ。
  そしたらおれはぐちゃぐちゃになるのだ。
  フンそいつがなんだ。
  死んだら死んだで生きてゆくのだ。
  おれの死際に君たちの万歳コーラスがきこえるように。
  ドシドシガンガン歌ってくれ。
  しみったれいはなかったおれじゃないか。
  ゲリゲじゃないか。
  満月じゃないか。
  十五夜はおれたちのお祭じゃあないか。


これは蛇に食われる蛙が、その痛みを仲間に向かって告げている歌だ。このカエルは草野にとって、客観的な対象物として存在するものとは捕らえられていない。それは草野自身の倒錯した姿なのだと考えてよい。蛙になった草野は蛇に飲み込まれると夢想する、飲み込まれるカエルとしての草野は世界を消化しているわけではなく、自分が世界つまり蛇によって消化されると感じる。

草野は世界と折り合いをつけられない恨みをこの詩の中で歌っているのだろうか。だが蛇に食われて消化されてしまうカエルとしての草野は、消化されたからといって、そのまま世界から消えてしまうと考えているわけでもない。「死んだら死んだで生きていくのだ」と、ずぶといことを言うのだ。


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