日本語と日本文化


東の雲ははやくも蜜のいろに燃え:宮沢賢治「春と修羅」


大正13年4月20日、宮沢賢治は北上の山の中で夜明けを迎えた。そのときの感動を、賢治は「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」と歌いだす。北上山地夜間行を歌った一連の詩の中で、4番目に位置するものだ。

この作品はまた、夜が明けて消えゆく運命の月を主題にしてもいる。賢治にとって月とはなんだったのか。この詩の原題は「普香天子」だったことが明らかになっているが、賢治はその普香天子に月のイメージを重ね合わせていたようなのだ。

普香天子とは、法華経序品にでてくる仏法守護の天子である。それは賢治にとっては、法華経の教えを守ることを導いてくれる存在だった。前の晩から煌々と輝く月の光に導かれて深い山の中を歩き続けてきた賢治にとって、月は自分の行く手を照らしてくれる導きの光として、普香天子のように思われたのではないか。

この詩には賢治のそんな宗教的な心情が込められているといえる。

  東の雲ははやくも蜜のいろに燃え
  丘はかれ草もまだらの雪も
  あえかにうかびはじめまして
  おぼろにつめたいあなたのよるは
  もうこの山地のどの谷からも去らうとします

蜜の色は、賢治の心の中では、暖かいオレンジ色に映ったのだろう。そんな暖かい色に東の空が燃え始め、あたり一面が明るくなるとともに、月が支配していた夜は終わろうとしている。

あなたのよると、月に向かって呼びかけているのは、祈りのはじめの言葉と受け取れる。

  ひとばんわたくしがふりかえりふりかえり来れば  
  巻雲のなかやあるひはけぶる青ぞらを       
  しづかにわたってゐらせられ           
  また四更ともおぼしいころは           
  やゝにみだれた中ぞらの             
  二つの雲の炭素棒のあひだに           
  古びた黄金の弧光のやうに            
  ふしぎな御座を示されました     

夜通し歩き続ける賢治の足元を照らしながら、月は静かな夜空をわたり、四更つまり夜明け前には、ふたつの雲の合間に、黄金の弧光のような光をたたえていた。

  まことにあなたを仰ぐひとりひとりに
  全くことなったかんがへをあたへ
  まことにあなたのまどかな御座は
  つめたい火口の数を示し
  あなたの御座の運行は
  公式にしたがってたがはぬを知って
  しかもあなたが一つのかんばしい意思であり
  われらに答へまたはたらきかける
  巨きなあやしい生物であること
  そのことはいまわたしの胸を
  あやしくあらたに湧きたたせます

賢治は導きの天子たる月に呼びかける。その月はひとつの物質的な現象としては、自然の法則に従うものだが、同時にひとつの芳しい意思として、人間に働きかけるのだ。

  あゝあかつき近くの雲が凍れば凍るほど
  そこらが明るくなればなるほど
  あらたにあなたがお吐きになる
  エステルの香は雲にみちます
  おゝ天子
  あなたはいまにはかにくらくなられます

賢治はひとつの強い意思としての月に向かって、祈りの言葉を捧げる。天が明るくなるにつれ、月の姿は見えなくなるが、月が吐いたエーテルの香りが辺り一面に充満する。そんな月に向かって賢治は、「おお天子」と祈りかけるのである。


    

  
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