日本語と日本文化


無声慟哭:宮沢賢治「春と修羅」


慟哭とは声を上げてむせび泣くことだ。だから無声の慟哭とは形容矛盾のように見える。だが賢治にとっては、声にならない慟哭もありえたのだろう。妹トシの死に際して賢治をおそったものが、そんな慟哭だった。

この詩は「春と修羅」の挽歌群の中で、「永訣の朝」、「松の針」に続くものだ。妹を失った悲痛な感情とともに、妹への特別の連帯感が現れている。先行する二編と比較すると、この作品には宗教的な色彩が強く感じられる。

  こんなにみんなにみまもられながら
  おまへはまだここでくるしまなければならないか
  ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
  また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ
  わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
  おまへはじぶんにさだめられたみちを
  ひとりさびしく往かうとするか
  信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
  あかるくつめたい精進(しやうじん)のみちからかなしくつかれてゐて
  毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
  おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
      (おら おかないふうしてらべ)

「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ」といっているように、賢治とトシとは法華経の信仰によって固く結ばれていた。賢治の実家は浄土宗だったから、ふたりは法華経に帰依することで、親戚から冷たい目で見られがちだったが、そのことが却って二人の精神的な結びつきを強めたともいえる。

そんなかけがいのない信仰の道づれが、自分をひとり残して死んでいく。ところがそんなトシを自分は強い心で見送ることができない。なぜなら自分はいまだ修行足らずの修羅の身だからだ。

修羅は詩集の題名にもなった言葉だが、仏教で言う六道のひとつ、煩悩の世界をいう。そこに生きるものは、いまだ信仰が成就しない中途半端な状態にある。賢治は自分もまたその修羅と同じ立場なので、妹の死を厳粛に受け止めることができないでいると嘆いているのだ。

  何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
  またわたくしのどんなちひさな表情も
  けつして見遁さないやうにしながら
  おまへはけなげに母に訊(き)くのだ
      (うんにや ずゐぶん立派だぢやい
       けふはほんとに立派だぢやい)
  ほんたうにさうだ
  髪だつていつそうくろいし
  まるでこどもの苹果の頬だ
  どうかきれいな頬をして
  あたらしく天にうまれてくれ
      それでもからだくさえがべ?
      うんにや いつかう

煩悩で乱れた自分を、死につつあるトシはやさしく受け止めてくれる。トシのほうが一歩先に煩悩を脱し、清浄な世界へと晴れ晴れと旅立っていこうとしているかのようだ。

そんな晴れ晴れとしたトシの顔はリンゴのようにかわいい。どうかそんなきれいな顔で新しい世界に生まれ変わってくれ。修羅である賢治はそのように願う。

  ほんたうにそんなことはない
  かへつてここはなつののはらの
  ちひさな白い花の匂でいつぱいだから
  ただわたくしはそれをいま言へないのだ
       (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
  わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
  わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
  ああそんなに
  かなしく眼をそらしてはいけない

晴れ晴れとした顔のトシがいるその空間は、夏の野原のようにちいさな白い花でいっぱいだ。このイメージは仏教の極楽世界のイメージにつながるのだろう。だがそれを前にした賢治はいまだに修羅であることを脱しきれない。心は不安につつまれてたままだ。

兄さんがそんなに不安な顔つきをしてると、わたしまでが不安になって、無事に極楽へ旅立つことができません、最後にトシが賢治に見せる表情の背後には、こんな叫びが込められているように写る。


    

  
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