日本語と日本文化


新藤兼人の「断腸亭日乗」を読む


新藤兼人監督には「墨東綺譚」という作品がある。筆者も見たことがある。津川雅彦扮する主人公に荷風の面影を見、その主人公の女性遍歴を透かして、荷風が生きた時代の雰囲気の一端を感じた気になったものだった。

映画は非常に丁寧に作られていた。荷風贔屓からだけでいうのではないが、新藤監督の代表作の一つと言ってもよいだろう。この映画を作るにあたっては、監督は相当の努力をしたそうで、単に墨東綺譚一篇を精読するにとどまらず、断腸亭日乗全七巻を繰り返し通読したそうだ。そこから荷風の人間性を感じとり、その人間観にたって作品作りに励んだらしい。

新藤監督が書いた<「断腸亭日常」を読む>には、そんな新藤監督の荷風への思い入れがよく出ていて、荷風贔屓としては非常に嬉しくなる本である。断腸亭日乗の行間から現れてくる荷風の人柄を、色々な角度から照らし出しているが、中でも圧巻は、荷風と女たちとの交情を巡るものだろう。映画「墨東綺譚」において描かれていたのも、主として荷風と女たちとの交情であったわけだが、映画作りの立場からすれば、男女の交情は永遠のテーマであるということなのだろう。

周知のように荷風は、生涯を通じて膨大な数の女性と性の遍歴のようなことをした。何処にそんなに多くの女たちと付き合えるだけの余裕があったのか、色にも金にも乏しい筆者などには到底伺うべくもないが、そこのところを監督は次のように言っている。

「荷風は六尺豊かで、なかなか端正な姿をしていますし、良家に生まれて、子供のときからうまいものを食って育っていますから、お坊ちゃんのような、いい顔をしていますね。そしてお金がある。勉強もして、学問もあるというように、実にいい条件が揃っています。それをいいことに、荷風は帰朝した三十歳から約三十年間、したい放題に放蕩したという感じです」

これを読むと監督は、荷風を日本に生まれたドン・ファンのような存在だと思っているふしがある。そこにはもてる者への羨望のまなざしも感じられる。

日乗昭和十一年一月三十日の記事に、自らの女性遍歴を吐露した有名なくだりがある。そのくだりを材料にして、監督は荷風の女性遍歴の一端をあぶりだしている。そのやりかたが、生半可ではない。ここに記された十六人の女たちについて、その生涯や荷風との関係など、実に綿密に調べ上げている。まるで探偵の仕事を見るようである。

ここに記された十六人の女たちは、いわば氷山の一角であって、荷風が実際にかかわった女の数はその数倍にも上るだろうと監督は言う。断腸亭日乗にも、そうした女たちとの関わりが何気なく書かれていたりもする。監督が注目するのは、そうした女たちがいずれも、商売女であった点だ。「荷風を巡る女たちの殆どが芸者か私娼です。素人女は一人もいません」

そんな荷風の女性遍歴のあり方については、色々な見方がある。中には当然けしからんと言う見方もあり、また多くの女性読者は、荷風の文章の中に女性に対する抜きがたい偏見と傲慢とを感じとって、嫌悪感を抱く人もいる。

しかし監督の荷風に対する立場は極めて鷹揚である。価値観は別にして、その生き方の中にそれなりの人間臭さを感じているからだろう。また荷風が女性との関係をその場の快楽の為ばかりでなく、自分の創作のために必要な行為として行ったという点にも注目している。荷風は女の文学といってよいほど、女性を描くことにこだわった作家だったが、荷風の小説に出てくる女性たちは皆実在の女性をモデルにしている。荷風にはモデルがいなければ生き生きとした小説が書けなかったのである。

映画「墨東綺譚」を作るにあたって、監督は荷風の女性遍歴をバックボーンとして使った。映画にも様々な女たちが出てくる。荷風が生涯にもっとも愛した関根歌についても、それとなく触れている。戦後になって老いさらばえた荷風が、関根歌と再会するシーンまで登場させているのは微笑ましい。

これは余談だが、関根歌が荷風と別れるきっかけになったのは、荷風の性欲が衰えて、歌が欲求不満に陥ったためだと監督はいっている。筆者にはそこまでは分からなかった。日乗の文字面からはそんなことを伺う由もない。荷風自身歌が発狂したと思い込んでいるのである。監督の推理は卓抜で、さすがに探偵を思わせるだけある。

「墨東綺譚」には、玉乃井の娼婦お雪が出てくる。荷風の女遍歴の最期を飾る実在の女性だ。荷風は玉乃井に通ううちにこの女性と出会い、ひと時の交情をもった。それが荷風の創作意欲を掻き立てて一篇の傑作を生みださせた。それが「墨東綺譚」だというわけである。

この小説は偶然の着想に基づいて生まれたものではない、と監督は言う。荷風は一篇の小説を書くための材料を求めて玉乃井に足しげく通い、その甲斐あって一人の女と出会い、その女との間に幸福な瞬間を持つことができた。この小説は荷風のそうした努力の賜物だったという側面もある、そう監督は言うのである。

この小説を荷風が書いたのは昭和十一年の秋だが、この年の荷風は玉乃井詣でに明けくれたと言ってよい。取材のためである。その様子を日乗の中から読み取りつつ、監督は荷風の取材スタイルを次のように紹介している。

「荷風は気を付けて、できるだけ風采を下げ、下駄を履き、折り目のないズボンを履いて、勝山の谷崎のところに行った時のように、茶色の手拭いをぶら下げていくという、用意周到さです。ひょっとしたら、一篇の創作が生まれるのではないかという予感があって、突っ込んでいくやり方には迫力があります」

荷風のこうした徹底ぶりは、このケースだけではなかったようで、日乗の中には、出会った女に興味をそそられ創作意欲を刺激されたらしい荷風が、女の身元を確かめようとして、私立探偵のように嗅ぎまわるところが記されている。

荷風が玉乃井に足を運んだのは、五十八歳の時だった。荷風は自分が年老いたことを自覚している。性欲が衰えたことが歌と別れた本当の原因だったとすれば、荷風自身にも自分の性欲の衰えは漠然と意識されていただろう。しかし荷風にとって、性欲と女とは自分の創作の泉のようなもの、それが枯れれば自分の創作意欲も枯れてしまう。そうした自覚があったに違いない。だからこそ荷風は、「肉欲衰えれば、芸術の創作欲もなくなると、自分を鞭打つような感じで入り込んでいった。それには獲物を追うハンターのすさまじさのようなものを感じます。そしてお雪に会えたから、荷風流にいえば肉欲を果たすことができたから、ひとつの創作が生まれたのだと思います」

荷風をこよなく愛する者でなければ出てこない言葉だ。


    

  
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