日本語と日本文化


花火:永井荷風の非政治的構え


永井荷風が政治とは一線を画し、政治的な発言を慎むことで非政治的な構えを貫いたことはよく知られている。それは普通の時代には、人間の生き方の一つのタイプとして軽く見られがちなところだが、荷風の場合にはそうした非政治的な構えが、戦争中には戦争への非協力としてかえって目立つようになり、荷風は戦争協力に最後まで従わなかった気骨ある作家だというふうな評価も現れた。だが、これはおそらく荷風本人にとっては、片腹痛いものであったろう。荷風はたしかに非政治的な構えを貫いたが、それはあくまでも非政治的な構えなのであって、そこに政治的な意味を読み取るのはお門違いということになろう。

荷風が非政治的な構えを取るに至った経緯をあらわしたものとしてよく引用されるのは、大正八年に書いた小品「花火」のなかの次の一節である。

「明治四十四年慶應義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走つて行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持のした事はなかつた。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。
「小説家ゾラはドレフュース事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。
「その頃からわたしは煙草入をさげ浮世絵を集め三味線をひきはじめた。わたしは江戸末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来ようが桜田御門で大老が暗殺されようがそんな事は下民の与り知つた事ではない---否とやかく申すのは却て畏多い事だと、すまして春本や春画をかいてゐた其の瞬間の胸中をば呆れるよりは寧ろ尊敬しようと思立つたのである」

これは明治四十四年におきたいわゆる大逆事件に触れたものだ。荷風は大逆事件の容疑者たちが囚人馬車に乗せられて裁判所に引き立てられる様を見て思うところがあった。それは権力に逆らう者がどのような目に遭わされるかということだ。同じく権力に逆らっても、フランスではドレフュース事件のときのように、事件の容疑者を擁護する動きが見られることもあるが、日本ではそんなことはありえない。権力に逆らったものは不届き者として抹殺されてしまう。そこに荷風は恐怖を感じて、自分は権力に逆らうような無謀なことはやるまい。といって、権力の横暴に目をつぶるだけでは能がない。それではまるきりの意気地なしになってしまう。そこは同じく権力に屈服するにも、屈服の仕方があるだろう。それはかっこよい屈服ということだ。そのかっこよい屈服の伝統が日本にはある。その伝統を踏まえておれば、同じく権力に屈服するにも、屈服のしがいがあろうというものだ。荷風はこんな理屈を弄して権力への屈服の道を選んだのだが、それは権力すなわち政治と距離を取り、非政治的な構えをとることによって、政治の作用を無化しようとする姿勢だったということができる。

つまり荷風の非政治的な構えは、権力を無化するための消極的な営みだったわけである。日本のような政治的風土を前提にしては、権力を茶化すためには徹底的に非政治的な構えをとるほか方法がない。そのことを荷風は十分に知った上で、非政治的な構えをとり続けた、と言えるのではないか。

荷風の文学はこうした非政治的な構えが生み出したものだ。荷風の小説には社会的な視点とか、ましてや社会とか政治のあり方に対する批判はほとんど読み取れない。男と女が人間として繰り広げることをねちねちと描写するばかりである。その人間としてのあり方は、あくまでも性的な存在としての人間である。荷風の小説に出てくる人間たちはどれもこれも、頭ではなく下半身で考える。人間同士の関係は畢竟男と女の関係に還元されるが、その関係は下半身を通じての結びつきである。荷風のように生涯にわたって男女の下半身の結びつきばかり書き続けた作家は世界的に見ても外に例がない。

荷風は昭和に入って日本社会が戦争一色になっても、あいかわらず男女の下半身の結びつきばかりを書いていた。そのうちそうした小説が軟弱文学だと言って軍部に攻撃されるようになると、公表の機会を奪われるが、それでも後日を記して書いた小説はいずれも男女の下半身の結びつきに関するものだった。荷風にとっては、男女の下半身の結びつきこそが人間の本質が発揮される場面なのであり、それを描くことこそが作家の良心なのだというわけだった。

このような構えが、大逆事件の反省から生まれたというのが、今日の荷風論の一つの潮流になっているようだが、その構えは小説の世界ばかりでなく、荷風の実生活をも支配していた。荷風はただひたすら女たちを愛撫することに自分の唯一の生甲斐を見いだしていたのである。荷風にとっては女を愛撫することが生甲斐なのであって、戦争などはどうでもよいことだった。それが荷風にとって問題となるのは、戦争によって自分の自由な生き方に制約を感じるときだった。だから荷風には戦争をまともに受け止めたような気配はほとんどない。戦争は荷風にとって、自分の自由を制約するやっかいな現象に過ぎなかった。





  
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