日本語と日本文化


荷風の浮世絵論:江戸芸術論から


荷風文学の著しい特質は古き日本への懐古趣味にある。江戸芸術論はそんな荷風の懐古趣味を学問的な体裁のもとで表明したものである。とは言っても、学問というものを軽蔑していたらしい荷風のこと、理屈ばったものの言い方はしない。自分の直感を他人にもわかりやすく説明したものというくらいに受け取ったほうがよい。学問の原点というものは、自分の意見を他人にもわかりやすく説明することだからである。江戸芸術を論じる荷風の語り口は実にわかりやすい。

この「江戸芸術論」と題した書物は、江戸時代に栄えた芸術からいくつかのジャンルを取り出して、それらがいかに日本人の感性を磨いてきたか、について深い共感を込めて陳述したものである。それらを読むと、江戸芸術を愛する荷風の心意気が生き生きと伝わってくる。

まず、浮世絵の鑑賞と題した一文。浮世絵論としては、この後に鈴木春信の美人画と北斎・広重の風景画を論じた部分が続くのだが、これはその前段として、浮世絵鑑賞の入門編といったものである。

浮世絵を論じる視点はいくつもあると思うが、荷風の場合には、浮世絵が過去の日本をそのありのままの姿で見せてくれるという点にある。荷風は数年間の欧米生活から日本に戻ってきたとき、古い日本が日々破壊されていることにショックを受けたと言う。何故そんなことが起きているのか。それは日本が西洋を模倣するあまりに、日本特有のものの美に盲目になってしまったからだ。そのことを荷風は、この一文の冒頭で次のように表現する。

「我邦現代における西洋文明模倣の状況を窺ひ見るに、都市の改築を始めとして家屋什器庭園衣服に至るまで時代の趣味一般の趨勢に徴して、転た余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり」

こんなわけで荷風が浮世絵に目を向けるのは、現代日本の茶番とも言うべき西洋化への反発からだと言う。荷風はまたも言うのだ。「余は日々時代の茶番に打興ずることを勉むると共に、又時としては心ひそかに整頓せる過去の生活を空想せざるを得ざりき」

そしてその過去の生活を空想するうえで、浮世絵は最もよい手がかりを与えてくれると言うのである。

浮世絵がかくも過去の生活の忠実な反映たることができているのは、その製作者が時代を支配したものの下請け画師ではなく、一介の町人たちだったからだと荷風は考える。幕府の保護を受けた狩野派や日本十八世紀のアカデミー画派では、決して時代の真相を忠実に描くことはできなかった。それができたのは、「遠島に流され手錠の刑を受けたる卑しむべき町絵師の功績たらずや。浮世絵は隠然として政府の迫害に屈服せざりし平民の意気を示し其の凱歌を奏するものならずや」と言うのである。

こう言うと荷風がいかにも反骨漢のように思われそうである。荷風は決して公然と政府に反旗を翻すようなことはしなかったが、政府の横暴には常に批判的な目を以て見ていた。その批判的な目は、浮世絵に親しむことによって養われたのかもしれない。上の文章に続けて宮武外骨の筆禍史に言及しているところなども、荷風が政府の横暴に対して批判的であったことを物語っているようだ。

浮世絵は「虫けら同然なる町人の手によりて、日当たり悪しき横町の借家に」制作せられた。しかしてその浮世絵の真骨頂は木版刷の眠気をもよおすような色彩にある。荷風は言う。

「若し木版刷の眠気なる色彩中に制作者の精神ありとせば、それは全く専制時代の萎靡したる人心の反映のみ。余はかかる暗黒時代の恐怖と悲哀と疲労とを暗示せらるる点において、宛も娼婦が啜り泣きする忍び音を聞く如き、この裏悲しく頼りなき色調を忘るる事能はざるなり」

つまり荷風は、壊されつつある古き日本に愛着を感じながらも、その古き日本を理想化するのではなく、そのあるがままの姿、それはすなわち専制支配のもとで庶民があえいでいたということだが、その否定的なあり方のままで愛するのである。これはどのような精神を反映しているのか、別途学問的な考察の対象になることではある。

以上は浮世絵の持つ文化史的な意義についての荷風の論であるが、荷風はまた浮世絵の美術的な面についても考察を加えている。それは前にもちょっと出てきたが、浮世絵の醸し出す色彩感である。その色彩感は板絵にもっともよく現われる。その理由は、板絵では数少ない顔料を板の上で混ぜ合わせることで、何とも言えない色彩の調和と言うことが起る。それに対して肉筆画の場合には、顔料が相互にまじりあわず、その結果色彩に乱雑を生ずるからだと言う。この辺は専門にわたるので、絵に詳しくない人にはむつかしいかもしれない。なお、荷風自身は時折肉筆画をものにすることはあっても、板絵版画を作ったことはないようだ。

荷風は美人画の系譜のなかでは鈴木春信を最も高く評価している。美人画といえば歌麿・豊国ら天明寛政時代の絵師がまず思い浮かぶが、荷風は彼らよりもその前の時代の鈴木春信を高く評価する。美術鑑賞のことであるから評価の基準は微妙なことではあるが、荷風はあえて自分流儀の基準を以て鈴木晴信を高く評価するのである。しかしてその基準の如何について、荷風は詳しくは触れない。ただ、浮世絵と並んで演劇、音曲、文学の領域でも、元禄時代に創成し、宝暦明和の円熟期を限界として、天明寛政の時代には堕落したと言っているから、浮世背に限らず江戸時代の芸術一般が同じような趨勢をたどったと見ているようである。

ところで荷風が江戸時代の風景画として最も高く評価するのは北斎、広重であるが、この二人はいずれも寛政以降に活躍した絵師である。だから風景画の分野については、上述した時代区分の特徴が当てはまらないということになる。

この二人の画業について荷風は雌雄をつけていない。それぞれ独自の特徴があって、それは相互に比較することのできないものだという見方をしている。しかして荷風が風景画を愛する理由は、それらが過去の時代の江戸の風景を如実に再現しているところにあることを考えると、それらの美術的な価値よりも記録的な価値をもっぱら重視していたとも考えられる。





  
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