日本語と日本文化


小説「浮沈」に見る荷風の厭戦気分


小説「浮沈」は昭和十四年前後の東京を主な舞台としている。昭和十四年と言えばヨーロッパで第二次大戦が始まった年であるし、日本では対中戦争が泥沼化し、太平洋戦争に向かって坂を転げ落ちるように突き進んでいった時代である。そんな時代を背景にして、この小説は作者永井荷風の反戦意識というか厭戦気分のようなものを色濃く反映している。この厭戦気分を荷風は日記「断腸亭日常」の中でも吐露していたが、小説では日記ほど露骨に言うわけにもいかぬので、かなりモディファイされた形においてではあるが、荷風日頃の厭戦気分を表現している。

まず戦争色に染まりつつある世相の動向について荷風は次のようにさらりと描いている。

「炎暑の盛りになるにつれ、世間の騒々しさも次第に激しくなり、辻々には香港を封鎖せよだの、適性第三国を打てなどという宣伝札が立てられ、今にも戦争の範囲が広がりはせぬかと危ぶまれるうちに、欧羅巴では波蘭土の戦争が起るとともに、どういうわけやら日本では排英運動が突然中止せられて、内閣が変わった」

内閣が代ったというのは、予備役陸軍大将安倍信之の内閣が総辞職して海軍大将米内光正が新しい内閣を組織したことをいうのだろう。いずれにしても軍人がこの国のかじ取りを続けることに変わりはない。

戦争の影響は市民生活の上にもあらわれてくる。昭和十五年には日常物資の不足が市民生活を脅かすようになる。

「十一月になって、朝夕の寒さが身にしむころ、炭屋で炭を売らなくなる。精米を食べられるのは今月かぎりだと言うことになった」。おかげで主人公のさだ子は、郷里の栃木県まで出かけて行って、実家から炭をわけてもらい、それを女のかぼそい体で東京まで運ばなければならない。その翌年、つまり昭和十七年に入ると、電気がとどこおりがちになる。

「去年より一層さびしい正月が過ぎると、二月ころから街路のみならず人家の電灯もにわかに薄暗くなり、ついには家々の軒や門につけた灯りも消え、高い建物のエレベータも動かなくなった。品切れのまま砂糖、マッチ、炭のたぐいはやはり市民の手に入りにくくなっていたが、とかくするうち時候は追々暖かくなるにつれ、炭の苦情だけはどうやら鎮まったかと思うと、今度は暑さに向かって水道の水がほとんど出ないようになった」

こんな具合で戦争の影が日常の市民生活にもさすようになり、市民は不平の一つや二つも言いたくなるところだったが、不平を言うところを人に知られると警官からひどい目に合わされると恐れて、じっと我慢している。その警察の横暴ぶりに荷風は、幾度となく言及している。

主人公のさだ子も警察にひどい目にあわされた一人だ。彼女はかつて家出をしたと思われて警察署へしょっ引かれ、散々な目にあわされたこともあって、警官の姿をみるとおどおどしてしまうのだ。たとえば、木陰の中から突然人が出て来たのを見て、それを警官と勘違いし、すっかりびっくり仰天したことなのである。

「突然木陰から現われた男がもし学生でなくて巡査であったなら、必ず見咎められて自分はその時のように警察署へ引っ張られて行ったのであろう。おどしたり、すかしたり、執念く問い詰める刑事の調べに遭って、自分は歴とした人の妻だと言ったところで、たった今仮祝言をすましたばかり、世間へはまだ披露もしていない。アパートの管理人にも話はしていないので、この身は要するに今まで通り銀座の女給である。少なくとも一晩や二晩は留置場で明かさねばならなかったかもしれない」

こうした警察官の市民生活への過干渉を荷風は日記その他でも繰り返し言及し、その横暴ぶりを呪詛している。面白いのは荷風の呪詛の対象が警察官に限られ憲兵には及ばないことだ。荷風は自分自身警察官からひどい目にあわされたようなので、もっぱらその時の経験から警察を呪詛するようになったものと思える。

警察官の横暴ぶりについてはこれのみにとどまらず、方々で言及されるのであるが、中でも傑作なのは、越智が日記の中でさだ子の警察への恐怖心に触れているところである。

「静岡の方である商人が妾を持っていたためにその地の警察署に引致せられ、二日間拘留せられた上、妾を解雇し罰金のかわりに毎月妾に仕送っていた費用で軍事公債を買えと言われたという話。また名古屋辺では巡査が芸者を連れて歩いている男を捉え数時間派出所の前に立たせて通行人への見せしめにしたというような話」をさだ子が聞かされ、警察への恐怖心を一層高めたというようなことを言っている。

こんなわけであるから荷風の厭戦気分はますます高まる。その気分はついに早く戦争が終わりになるためには日本が負けたほうが良いと思うに至るのだが。無論作者がそんなことを吐露すれば、発禁処分はもとより摘発の対象とされてしまうだろう。そこで荷風はその厭戦気分を作中人物の口を借りてそれとなく表現するのである。バー・ラファエルの主人広岡の次のような独白がそうだ。

「しかるにこの果敢ない老後の楽しみも、去年、西暦一九四〇年、波蘭土共和国の敗北から引き続く欧州の戦乱に今は全く消え失せてしまった。それのみならず、広岡はこのたびの戦争について、列国いずれの勝敗に関せず、欧州の文化もルネッサンス以後幾世紀の全盛期を過ぎ、ついに衰退の境に入り来ったものと考え、底知れぬ暗愁に沈まざるを得なくなった」

日記断腸亭日常のなかでと異なりこの小説で表現された厭戦気分は何重ものオブラートに包まれているので、一読しただけでは作者の真意がわからないところがある。発表を断念しながら書いたとものとはいえ、そこは慎重な荷風のこと、露骨な時代批判は身の危険を招くと思ったのであろう。





  
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