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雨瀟瀟:永井荷風の退隠小説


雨瀟瀟とは、雨が物悲しい音をたてて降る様子を表した言葉で、主に秋の雨について用いられる。荷風散人の短編小説「雨瀟瀟」は、そんな秋雨の描写から始まる。曰く、「その年二百二十日の夕から降り出した雨は残りなく萩の花を洗い流しその枝を地に伏せたが高く伸びた紫苑をも頭の重い鶏頭をも倒しはしなかった。その代り二日二晩しとしとと降り続けたあげく三日目になってもなお晴れやらぬ空の暗さは夕顔と月見草の花をおずおず昼のうちから咲きかけたほどであった」

小説はこのように瀟瀟たる雨の描写から始まるのであるが、それは小説の開始に季節感を伴わせようとの荷風一流の配慮からであって、これ以降雨は小説の進行に何らの役割も果たさなくなる。というよりこの小説は、未来へ向かって進行していくのではなく、過去にさかのぼって後退してゆくのである。一種の遡及話法を採用しているわけである。では何のためにことさらに瀟瀟たる雨の描写を冒頭に置いたかと言うと、荷風一流の季節感もさることながら、この小説の話者たる人物の境遇を暗示するのに都合がよいと荷風が考えたからではないか。この小説の話者は金阜散人と名乗っているが、彼は自分の境遇を次のように描写している。「これから先わたしの身にはもうさして面白いこともない代りまたさして悲しいことも起るまい。秋の日のどんよりと曇って風もなく雨にもならず暮れていくようにわたしの一生は終っていくのであろうというようなことをいわれもなく感じたまでのことである」

この文章から伝わってくるのは、瀟瀟たる雨とその雨がやんだあとのどんよりとした秋の空に己が人生の秋を感じとったものの寂莫たる情緒である。つまり題名にある雨瀟瀟とは人生の秋に面したもののうら悲しいつぶやきを暗示していると受け取れるのである。しかしそのうら悲しくあるべきつぶやきから紡ぎ出される話は必ずしもうら悲しい話ではない。かえって艶のある話である。というのも、この小説の中で展開される話とは、老後の楽しみに妾を囲ったものの悲哀についてなのである。妾を囲うことが何故悲哀につながるのか、それはこの小説を読んでみればよく分かる、というわけであろう。

さて金阜散人は、瀟瀟たる雨がやんだあとのどんよりとした空の下銀座まで買い物に出たのであったが、その途中で一人の女に出会った。その女というのは小半といってかつて芸者であったものが散人の友人彩牋堂主人に身請けされて囲われていたのであった。彩牋堂というのはその友人がこの妾のために建てた家に金阜散人がつけてやった名だったのだが、その名も空しく友人はこの妾を離縁してしまったのだった。そのなれそめから離縁にいたるいきさつを物語ったというのがこの小説の体裁なのである。

そんなわけでこの小説は男が妾を持つことの意義について蘊蓄を傾けるという流れになっている。その流れの進め具合を一言で言えば、江戸趣味ということになろう。金阜散人はこの江戸趣味に突き動かされて芸者を身請けするのであるし、身請けした後はその女に江戸趣味の名残たる薗八節の伝統を絶やさぬよう精進させようとするのである。一方金阜散人のほうも江戸趣味にどっぷりと浸っており、自分自身三味線をつま弾きながら薗八節を語る一方、友人のために妾宅に命名したり薗八節の新曲を書いてやったりもする。

その薗八節を金阜散人は次のように評価している。「豊太閣は茶を立てたが茶より浄瑠璃がよい。浄瑠璃も諸流の中で最もしめやかな薗八に越すものはない。薗八節の凄艶にして古雅な曲調には夢の中に浮世絵美人の私語を聞くような趣があると(友人は)述べた。二人の言うところはいずれにしても江戸の声曲を骨董的に愛玩するということに帰着するのである」

こんな調子でこの小説の中では江戸情緒礼賛といってよいほどに江戸時代の古きよき事柄への同感が語られる。荷風の江戸趣味は半端ではないから、その蘊蓄たるや人をして呻らせるものがある。

この友人が別荘を構えてそこに妾を置くことができたのは、その友人(ヨウさんともいう)の甲斐性もさることながら、そこにはやはり時代の空気も働いていた。「そのころ世の中は欧州戦争のおかげですばらしい景気であった。株式会社が日に三つも四つもできたくらいなので以前から資本のしっかりしたヨウさんの会社なぞは利益も定めし莫大であったに相違ない」。荷風がこの小説を書いたのは大正十年のことだから、たしかに世の中は好景気に沸いていたのである。そうした時代の背景にも荷風は目配りを忘れていないわけである。

ところでこの妾を友人が離縁した理由というのは、彼女が間夫をしたことにあった。今風にいえば不倫である。妾に不倫ということがありうるのかどうか、道徳的な見地からは争いが生じるかもしれぬが、要するに旦那以外に男をこしらえたことで、旦那が腹を立てたということであろう。ところが腹を立てた旦那は、浮気だけを理由にしてはなにかと自分の沽券にかかわるものだから、そこにもったいぶった理屈をつける。その理屈というのが、ありていにいえば女が俗物すぎて幻滅させられたというのであるから、男らしくもない理屈を言うものだと大方の読者は感じさせられる。だが荷風散人の筆にかかるとなにやらそれらしく聞こえるから面白い。

筆使いに触れたところで多少の脱線をすると、荷風は日本語の堕落についてもこだわりを見せている。荷風のもっとも嫌いなのは当代の日本語がやたらと「である」という文体を使うことだ。荷風は憤懣を込めて言うのだ。「このであるという文体についてわたしは今日なお古人の文を読み返した後などことに不快の感を禁じ得ないノデアル。わたしはどうかしてこの野卑蕪雑なデアルの文体を排棄しようと思いながら多年の陋習ついに改むるによしなく空しく紅葉一葉のごとき文才なきを嘆じている次第であるノデアル」

小説はなぜか金阜散人が家を売却する決心をするところで終わる。それについては「住み慣れた家を去るときはさすがに悲哀であった」と、わざわざ「である」体をもちいて書いているが、なぜ金阜散人が家を売却する決心をしたのか、そこまでは言及していない。ただ「そのうち売宅記とでも題してまた書こう」と仄めかしているだけである。

こんなわけでこの小悦は、小説の体裁を借りて日ごろ荷風散人が抱いていた江戸文化への思いを吐露したものだと言ってよい。デアルから、筋書きは付け足しなのデアル。


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