日本語と日本文化


永井荷風「腕くらべ」


荷風言うところの賤業婦とは、性を売り物にする女のことである。これは人類史上最古の職業と言ってもよく、日本でも万葉の時代にすでに浮かれ女という名称の賤業婦があった。この賤業婦を荷風は、生涯のテーマとして追い続けた。対象が対象であるから、とかく堕落しがちなこのテーマを、荷風はあくまでも文学的に扱った。であるから荷風の小説の中の賤業婦たちは、みだらさは感じさせるが、堕落したところはない。みな自分の気持に忠実に生きている。その生きざまに荷風は同感したのだろう、彼の賤業婦の描き方には、愛するものをいとおしむ気持ちがこもっている。

「すみだ川」では、これから芸者になろうという女と、その女を恋い慕う少年とが描かれていたが、「腕くらべ」では、成熟した女としての芸者が描かれる。荷風の若い頃には、性を売る女といえば芸者が筆頭だったので、賤業婦を描こうとすれば勢い芸者を取り上げることとなったのだと言える。その後、カフェが盛んになると、そこの女給が新しい形の賤業婦として登場してくるし、時代がぐっと下がると日本風のコールガールも出現してくる。荷風はそうした時代の流れに従って、さまざまな形の賤業婦を描いていくわけだ。この「腕くらべ」は、そうした荷風の文業の上で、記念すべき出発点をなすものと位置づけることができる。これ以後彼は、終始一貫して賤業婦にこだわり続けるのである。

この小説の主人公は駒代と言って二十代半ばの色気盛りの芸者である。子どもの頃から芸者として仕込まれ、一度は身受けされて田舎のお大尽の奥様に納まったこともあったが、亭主が死んでもとの木阿弥とあいなり、自分の体一つ張って生きている。その芸者としての駒代の生きざまがこの小説のテーマだ。芸者としての意地とか、女の打算とか、芸者同士のさや当てとか、果ては男とのだましあいとか、女が身一つで生きるうえでのさまざまな出来事が色気たっぷりに描かれる。こうした色気はそう簡単に出せるものではないので、芸道についてのそれなりの修行がいる。荷風は若いころから散々遊んでいるので、その辺の呼吸は十分に心得ているものと見え、芸者の世界を描く彼の筆にはよどみがない。

小説の舞台は新橋だ。新橋には色町と芝居の世界が同居している。主人公の芸者駒代はこの二つの世界を行ったり来たりして、身一つで生きているのである。小説の発端からして、駒代が帝国劇場で昔のお客吉岡と遭遇することから始まる。芝居が二人の縁を取り持つわけだ。この吉岡とは、まだ十八の頃に馴染んだ客で、その頃の吉岡は二十代なかばの学生だった。駒代にとっても懐かしい相手ではあり、吉岡もまた色気を増した駒代に大いに興をそそられる。そんなわけで二人は再会したその日にしっとりとした間柄になってしまうのである。いくら身を売るのが商売の芸者といえども、これではあまり安っぽく自分を売ることにはならないかと駒代は思ったりもするのだが、そこはそこ、女としての性が働き、やすやすと寝てしまうのである。

それはともかく、駒代を描写するにも荷風は筆によりをかけている。駒代が吉岡の座敷に呼ばれて登場する場面は次のようである。「髪はつぶしの結い銀棟すかし彫の翡翠の簪。唐桟柄のお召の単衣。好みは意気なれどそのため少しふけて見えると気遣ってか、半襟はわざとらしく繍いの多きをかけ、帯は古代の加賀友禅に黒繻子の腹合せ、ごくあらい絞りの浅葱縮緬の帯揚げをしめ、帯留めは大粒な真珠に紐は青磁色の濃いのをしめている」

まだ決まった旦那を持たない駒代がどんなわけでこんな装いをしていられるのか、そんな野暮なことは荷風は言わない。ただこんな豪華な装いをしていても寝るときには裸になるものだということを匂わせているに過ぎない。

久しぶりに昔の女とあった吉岡は、すっかり彼女が気に入り、出来たら妾にして鎌倉あたりに囲い、折々自分の慰めものにする間、仕事の宴会に侍らせて、玄人女を呼ぶよりは安くすませようなどと、勝手なことを思うようになる。荷風の小説に出てくる男たちは、みな打算で動く連中なのである。その打算交じりの吉岡の思惑に、駒代は簡単にはなびかない。彼女には、見受けされて失敗した体験があるだけに、もう一度同じ憂き目を見るのが嫌なのだ。できればまだ女ざかりのうちに、精々楽しんでおきたい。そんな風に思っているのを、抱えの置屋の亭主が見抜いて次のように言う。「大したものを見つけたな。それじゃ商売が面白くって止められねえのも無理はない。旦那がいい男で道楽に六代目か吉右衛門でも色にすりゃそれこそ両手に花だ。ははははは」

実際この亭主の言う通り、駒代は吉岡のほかにもう一人旦那をこしらえ、商売に励むついでに、色男の歌舞伎役者を色にして、あちらのほうも存分に楽しもうという魂胆を起こすのだ。もっともこの魂胆はことごとく挫折し、駒代は危機に陥るのではあるが。

その危機に触れる前に、駒代がどのようにして色男を作ったか。それに触れると、これもまた偶然のたまものだった。駒代は吉岡と共に森ケ崎の別荘にしけこみ、そこで散々吉岡の相手をさせられるのであるが、それに飽きた頃に別荘で歌舞伎役者の瀬川一糸と出会い、これもまた出会ったその日のうちに懇ろになってしまうのである。こう言うと、駒代はさぞ尻の軽い女との印象を受けるが、実際その通りなのだ、彼女は一晩で三人の男と寝るというような芸当まで演じて見せるのである。荷風の筆はそのあたりを心憎く描いている。

駒代は吉岡のほかに金回りのよい旦那を見つけ、月に何度か床の相手をするようになった。一方吉岡の相手も続けているので、場合によっては鉢合わせになりそうなこともある。そこは利口な駒代のこと、態よくさばいていたが、或る晩そこがさばききれずになって、続いて二人の旦那の相手をした揚げ句に、これは自分の思い人たる瀬川一糸を、こちらは自分のほうから抱いてかかるのだ。そこのところを荷風は次のようにさりげなく触れる。「溜息とともにまたしても一倍口惜しくなるのは対月のお客に浜崎の旦那が念入りな攻め抜きよう。いっそ精魂つかれ果ててこれなり死んでしまったらと駒代は今方あだし男にその身を弄ばれた口惜しさの仕返しとでもいうように狂気の如く瀬川一糸の寝姿をば女の身ながらまるで男のようにひしと上から抱きしめ、びっくりして目をさますその顔にさめざめと顔押し当てて泣き入った」

駒代の挫折はいつくかの不都合な事態が畳みかけるように重なることによって現れた。まず吉岡から捨てられた。それは駒代に色男がいることを悟られたからだが、それについては駒代の同輩の菊千代が悪だくみを働いた上に、自分自身が駒代の後釜におさまって吉岡の妾になってしまった。出し抜かれたかたちの駒代は、次いで瀬川一糸にも捨てられる。これについては、吉岡の妾の力次という女が、駒代に吉岡をとられた腹いせに、瀬川を駒代から奪い取る陰謀をはりめぐらすのだ。その陰謀とは、素人上がりで金をしこたまもっている女を瀬川に引き合わせ、女の金の威力で瀬川を落とそうというのであった。というのもこの女は、死んだ旦那から莫大な遺産をもらっていて、金には不自由することなく、芸者家業を楽しんでいたというわけなのだ。ともあれその女の金に目がくらんだか、瀬川の方からは義母も含めて気に入られ、女房に迎えられることとなり、駒代は捨てられる仕儀とあいなるのだ。

こうして弱り目に祟り目といった境遇にある駒代を、さらにこれでもかといたぶるやつがいる。瀬川の幇間を自任している安井というごろつき文士が、駒代についてあることないこと悪い噂を業界誌に書き散らし、それがもとで駒代はきまりが悪くて新橋にいられないと思うようになる。だが駒代には、新橋のほか身を置くところなどない。場末で売女でもやるほか当てはないのだ。ところがそこに天が駒代に微笑んで見せる。置屋の女将が死んで取り残された亭主が、置屋の運営を駒代に託すのだ。こうしてこの小説は、いくらか救いのある結末になっているわけだ。そのへんは、あまりに暗くするのも考え物だとの荷風の考えがあってのことだろう。

そんなわけで、この小説は、色町の人間関係がテーマである。なかでも芸者としての女同士のさや当てがもっとも見どころになっている。題名の「腕くらべ」とは、そんな芸者同士のさや当てを言い表しているのである。





  
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