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永井荷風「妾宅」を読む


永井荷風には、随筆だか小説だか区別のつかない曖昧な作品が多くある。それらは、小説の体裁を借りて随筆を書いているのか、あるいは随筆に小説の趣を添えることで文章に色を添えているのか、どちらともとれない曖昧さがあって、それがまた荷風の良さだとするような見立てもあったりするのだが、ともあれそういう曖昧さを身上とする一連の作品が荷風にはあるということだ。荷風畢生の傑作といわれる「濹東綺譚」はその代表的なものである。初期の短編「妾宅」は、作家としての荷風が自分の作風を確立する過程で楽しんだ寄り道のように見えるが、そこにもすでに「濹東綺譚」で華麗に展開された随筆風小説の技法の冴えがすでに十分に見られるのである。

小説と同居する随筆だからと言って、荷風の書き方には締まりのない雑文といった趣は毫もない。そこは西洋の文学に薫陶を受けた荷風散人のこと。随筆一つ書くにも、結構の綿密さや文意展開の論理性といったことに細心の注意を払っているのが感じられる。荷風ほど、文章の論理的な組み立てとか形式的な美しさにこだわった作家は、日本の作家のなかでも、特に珍しいと言えるのではないか。

「妾宅」と題したこの小説は、文字通り「妾宅」で過ごすことの素晴らしい趣をテーマにしている。小説といっても、筋らしい筋は全くない。珍々先生なる暇人が、ある日「妾宅」を訪ね、そこで風呂上がりの妾の妖艶な仕草を眺めながら、「妾宅」をもつことの幸福について、つくづく心に染み入るような感情を込めて、披露するというだけの話である。だからといって荷風は、小説の結構に手を抜いたりしない。本筋が単純なだけに、随筆風に展開される話の内容に工夫を凝らしている。それは簡単に言うと、妾を抱えることの効用から始まり、どんなところにその妾を囲うべきかとか、妾とするならどんな女にすべきかとか、また妾に何を期待すべきかとかいったことを、筋目正しく述べて見せるのである。

妾を抱えることの効用などというと、今時のフェミニストからはどやされるところだろう。たしかに荷風にはフェミニストたちを怒らせるようなところがある。妾という種類の人間についてその効用を云々するところなどは、人間を人間としてではなく、ものとして扱っていることの証拠であるように見えるし、荷風の女性を見る目にもそういうところを多分に感じさせるところがある。荷風にとっては、人間の女性は、人間である前に女であって、その女とはとりもなおさず男を喜ばせるために存在する、というのが荷風の本音の考え方のように見える。そんなわけであるから、21世紀の今日の日本において、荷風は女性にとって最も人気のない作家となり果てたわけである。

さて、小説のなかの珍々先生が妾を囲っている家は、「昔より大陰のかくれる町中の裏通り、掘割に沿う日かげ」にある。そこの「薄暗く湿った家をば、それがためにかえってなつかしく、いかにも浮世に遠く失敗した人の隠れ家らしいこころもちをさせることを」先生は喜んでいる。こうした性癖は、小説のなかの珍々先生のみならず、実際に生きている荷風散人にも共通する趣味なのであって、散人自ら町中の裏通りに妾宅を囲っていたことは、その日記断腸亭日乗に詳しい。そんなわけであるから、妾とそれを住まわせる家についての小説のなかの描写は荷風散人自らの趣味を物語っていると捉えて間違いないほどである。

こんなことを言われると、21世紀の日本の読者、とりわけ女性たちはますます噴飯に耐えないものを感じるだろう。女性を慰み者として囲うのが許せないところへ持ってきて、その女性をこともあろうに、じめじめと湿った薄暗い家に閉じ込めておくなんど、人権侵害も甚だしい、そう言われるかもしれない。たしかにそういうところはある。だがそうしたことがらは何も荷風散人一人の専売特許だったわけではなく、彼の同時代人のなかには、普通に行われていた習俗だったのである。習俗だからといって、それに盲目的に従う理由はないわけだが、その習俗に従って得られる快楽は、男の甲斐性として、当時は広く認められていたのである。それに荷風散人も便乗したに過ぎない。といって、言い訳になるものでもない。このことを以て荷風の俗物ぶりの根拠とすることにも、十分の理由が成り立つと言える。

妾宅で妾と一緒に過ごすひとときは人生の生きがいをもっとも感じさせるものだが、つけても最も味わい深い季節は冬である、と珍々先生は考える。「彼がことさらに、この薄暗い妾宅をなつかしく思うのは、風鈴の音涼しき夏の夕べよりも、虫の音冴ゆる秋の夜長よりも、かえって底冷えのする曇った冬の日の、どうやら雪にでもなりそうな暮れ方近く、この一間の堀炬燵に猫を膝にしながら、所在なげに生欠伸をかみしめる時であるのだ・・・先生はこういう時、つくづくこれが先祖代々日本人の送り過ごしてきた日本の家の冬の心持だと感ずるのである。宝井其角の家にもこれと同じような日が幾たびとなく来たのであろう」

珍々先生が家に囲っている妾は、芸者あがりの女である。芸者のことを先生は賤業婦と言い、自分が彼女らを愛するのは、その病的な美に惹かれるからだと言っている。「芸者が好きだといっても、当時新橋第一流の名花と世にもてはやされる名古屋種の美人などに目をくれるのではない。深川の掘割の夜更け、石置場のかげから這い出す辻君にも等しいかの水転の身のあさましさを愛するのである」

荷風がここで言われているような賤業婦に強いこだわりを持っていたことは、日記から明らかである。彼はそれらの賤業婦たちを自分の小説の主人公としたばかりか、自分自身もそうした女たちと交情を重ねた。だからこの小説のなかで珍々先生が賤業婦たちについて語っているところは、荷風の本音と受け取ってよい。

珍々先生は、お妾のちょっとした仕草のなかに、無上の逸楽を感じる。たとえば、「先生は女が髪を直す時の千姿万態をば、そのあらゆる場面を通じてことごとくこれを秩序的に諳んじながら、なお飽きないほどの観察者」なのである。「珍々先生は芸者あがりのお妾の夕化粧をば、つまり生きて物言う浮世絵と見て楽しんでいるのである。明治の女子教育と関係なき賤業婦の淫靡なる生活によって、爛熟した過去の文明の遠い囁きを聞こうとしているのである。このわずかなる慰安が珍々先生をして、洋服を着ないでもすむ半日を、ただうつうつとこの妾宅に送らせる理由である」

そのくつろぎの中で珍々先生は、妾と一緒に過ごすひと時の甘美さに心とろける幸福を感じるのだ。「何たる物哀れな美しい姿であろう。夕化粧の襟足際立つ手拭の冠り方、襟付きの小袖、肩から滑り落ちそうなお召の半纏、お召の前掛、しどけなく引掛けに結んだ昼夜帯、すべて現代の道徳家をしては覚えず眉を顰めしめ、警察官をしてはそぞろに嫌悪の眼を鋭くさせるような国貞ぶりの年増盛りが、まめまめしく台所に働らいている姿は勝手口の破れた水障子、引窓の綱、七輪、水甕、竈、その傍の煤けた柱に貼った荒神様のお札なぞ、一体に汚らしく乱雑に見える周囲の道具立てと相俟って、草草紙に見るような何というはかない詫住居の情緒、また歌沢の節回しに唄い古されたような、何という三弦的情緒をしめすのであろう」

妾がただよわすこうした情緒は、日陰に咲く花に似て、派手ではないが、地味は地味なりに確固とした存在感を示していると、珍々先生もまた荷風散人も感じてやまない。そうした日陰者の情緒に通じるものとして、珍々先生はなんと便所を取り上げる。便所は日陰の目立たないところにあるが、西洋風の便所のように、その存在を抹消されたようにひっそりとたたずんでいるわけではなく、それなりに人の目を意識しながら、日陰者らしい情緒を演出している。日本人ほど、便所の醸し出す情緒に敏感な民族はないが、それは賤業婦に美を見だす態度に共通するのだろう。「かくのごとく都会における家庭の優雅なる方面、町中の住まいの詩的情緒を、もっぱら便所とその周囲の情景に仰いだのは実際日本ばかりであろう」と言うのである。

もっともこう言ったからといって、荷風は、便所趣味に代表されるような日本人の日本人らしい情緒を、世界に冠たる美点などと持ち上げているわけではない。日本人は便所を愛するのと同じ感性を以て、生活や芸術にも接している。そう言って荷風散人は次のような文章でこの小説を締めくくっているのである。すなわち、「ある者は代言人のごとく、ある者は歯医者の落ちぶれのごとく、ある者は非番巡査のごとく、またある者は浪花節語りのごとく、壮士役者の馬の足のごとく、その外見は千差万別なれども、その褌の汚さ加減はいずれもさぞやと察せられるばかりである」

いかのも荷風散人らしい皮肉ではないか。


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