日本語と日本文化


子どもの風景:井上靖「しろばんば」から


井上靖の自伝的小説「しろばんば」には、古き良き時代の日本の子どもたちが生き生きと描かれている。それを読んでいると、非常に複雑な気持ちにさせられる。かつては、日本のどんな片隅でも見られたこうした子どもたちの風景は、今では殆ど見られなくなってしまった。そんな半分哀惜の感情と懐かしさの感情とが入り混じる不思議な気持ちにさせられるのだ。

ここでいう「子どもたちの風景」とは、子どもたちが群というかたちで自分たちの独自の世界を作り、その世界で生きることによって、子どもたち同志のかかわり方を身に着け、それを通じて大人たちとのかかわり方を、また広く社会とのかかわり方を学習していく、そんな過程を包み込んだ、非常に懐の広い世界の風景のことである。

この小説で描かれているのは、大正初期の日本の、それも山村でのことだから、他の地方に比べれば、古い時代の日本社会のあり方を濃厚に保存していたのだと思われる。そうした古い時代の日本社会にあって、子どもたちは非常に高い自主文化をもっており、それに対して子どもたち同志疑いの念をさしはさまず、また大人たちにその自立性をある程度尊重させるような文化を持っていたのではないか。

そのことは、日本の伝統文化にあっては、子どもが子どもとしてのアイデンティティと、されに支えられた自律的世界をもち、それを大人が尊重していることを意味している。西洋の社会が、子どもと言うものを特別視せず、したがって子供の風景というものがなかなか展開しなかったらしいことと比較すると、これは日本文化の特性の一つだと言える。

こんな問題意識に立って、「しろばんば」の中で展開している「子どもの風景」について、一瞥を加えてみたい。

舞台は大正初期の伊豆の山村湯ヶ島、そこに主人公の耕作少年がおぬい婆さんと二人で土蔵の中で暮らしている。耕作の周囲には村の子どもたちの遊び仲間がいる。耕作は常に彼らと行動を共にしている。彼が属している集団は、一年坊主から六年生まで、同じ部落に暮らすすべての子どもたちからなっているのだ。

子どもたちは、学校が始まる一時間以上も前に、村の一か所に集合し、そこから集団で学校に向かう。ただ歩くのではない。遊びながら行くのだ。子どもたちは部落ごとに集団を作って登校する。途中であったりすると、互いにねめつけあい、時には石をぶつけあったりする。子どもたちにとっては、集団内部は自分が帰属する家族のような世界であり、他の集団は敵なのである。まず、こんなところから、日本人特有の「おらが村」意識が、子どもの頃から育まれていく過程がよくわかる。

子どもたちの集団には当然、年齢に応じて支配服従関係ができる。こどもたちは日常のそうした関係を通じて、大人の社会にもある支配服従関係の原型を学ぶわけである。しかしその支配服従関係は力によるものではない。力は反抗を呼び覚ますが、彼らの間には力と反抗の関係はない。年齢を含めた互いの間の日頃のあり方から自然発生的に出来上がる支配関係だ。だから上級生から仕事を言いつけられた下級生は、それが嫌なことであっても、結局は受け入れるのである。

学校の中では、部落間の敵対意識はとりあえず解消される。そのかわり子どもたちには、怖い存在としての教師が表面に出てくる。子どもたちにとって教師は、わけもなく頭をなぐったり、小突いたりするので、教室の中へ入ると、まるで刑務所の中にでも入れられたような気持になるのだた。耕作自身も、一年坊主の時に、先生から耳をひっぱられて、廊下に立たされたことがあった。耕作にはそうしてそうbなったのか、原因が最後までわからなかった。

そんなわけだから、子どもたちが悪さをしたときに、大人たちが学校の先生に言いつけるぞと言われると、みんな震え上がったのだった。

先生から蒙った故のない暴力を、子どもたちは自分たちよりも弱い者、たとえば小さな生き物に向かって爆発させた。子どもたちは昆虫を見ると訳もなく石をぶつけるのだし、罠をしかけて小鳥を殺しては喜ぶのである。まるで自分たちのやっていることは、先生たちのやっている事とおなじく、どんな言い訳をも超えた、絶対的な行為なのだといわんばかりに。

男の子と女の子は基本的には行動を別にし、一緒に遊ぶということはなかった。女の子たちが川で遊んでいるところに男の子が近づいていくと、女の子たちはたいてい、キャーキャー叫びながら大急ぎで逃げていくのだった。

子どもたちの遊ぶところはだいたい決まっていた。川で泳いだり、広場でメンコをしたりといったことだ。子どもたちは、学校での行動も含めて一日中、一緒に行動しているのである。

子どもたちの集団の中では、上級生が指導者の役割を果たし、集団に一定の秩序のようなものをもたらすかたわら、大人の世界との接点の役割を果たしていた。彼らは、自分の親たちから聞きつけたことを子供の世界で披露する。それ故子どもたちは、村で暮らす人たちにどんな事態が起きているか、また村全体にどんな変化が表れつつあるか、子供なりによく知っているのである。

たとえば、耕作の叔母であるさき子が、同僚の教師基と恋仲になる。すると子どもたちは、「さき子と基はあやしいぞ、さき子と基はあやしいぞ」と歌でも歌うように囃しながら遊ぶのだが、この言葉が大人たちから出ていることは言うまでもないのである。

また、さき子が妊娠した時に、「上の家でも困ったこっちゃ」と幸男がいえば、「やれやれ、困ったことになりおった。あまっ子は孕むで困る」と亀男が言うのだが、二人とも親の言いぐさをそっくりおうむ返ししているにすぎないのだ。それを聞かされた耕作が気に入らないのはいうまでもない。

そんな子どもたちでも、さき子が死んだときは素直に同情してくれた。耕作が幸男に「さき姉ちゃ、死んだぞ」というと、幸男は「知っていらあ」と言って、「なむまいだ、なむまいだ」と念仏を唱える真似をする。するとほかの子どもたちも、それぞれ異様な風体をしながら、「なむまいだ、なむまいだ」と合唱する。そんな子どもたちに、耕作は怒りを感じなかったのである。

台風の季節がやってきて、横殴りの雨が降りだし、空一面を覆っている黒い雲が走り出すと、学校は早引けになって、子どもたちは部落ごとに集団を作って帰っていく。「遠い部落からきている子どもたちは着物の裾をめくり、裸足になって部落単位で一団になって街道を走っていった。傘をさしている子供もあれば、濡れ鼠のこどももあった」

言及が遅くなったが、この時代の子どもたちは、着物を着て細い帯を巻いていたのである。遊ぶときにはその着物を脱ぎすて、真っ裸になることが多かった。雨にあたったからといって、別段気にする程のことでもないのである。

一年中一緒にいるわけであるから、子どもたちは強い友情で結ばれるようになる。

耕作が両親と一緒に暮らすことになって、いよいよ部落を出て行くという日の前日、仲間たちは耕作の求めに応じて、おぬい婆さんの墓参りに付き合ってくれた。「今日は最後だから、大勢連れて行こうや」と幸男が言って、部落の子どもたちがみんな集められた。6年生になってすっかり大人びたせいか、子どもたちとは遊ばなくなっていた子も、耕作との最後の付き合いと思って姿をあらわした。

「耕作は幸男、亀男、芳衛たち上級の友達とひと固まりになって、急な細い坂道を上っていった。下級生たちはわあわあ騒ぎながら、飛んだり跳ねたりして上っていった。何事につけても良く気の回る亀男が、どこから手に入れてきたのか、水を入れた一升瓶と、線香の束を持って来ていて、それを交代で下級生に持たせた。その役を受け持たされた下級生だけが、神妙な顔をして、上級生の背後からついてきた」

その夜、耕作は同級生の三人と、温泉に浸かりに行った。その途中、「今度来るときは、中学生になって来るんずら。おらっちをみても、口をきかんかもしれんな」と亀男が言った。すると耕作は、「そんなことあるもんか」と打ち消した。亀男には、大人の社会のことがだんだんわかっきて、こんな口のきき方をしたのだろう。それに対して耕作は、自分の中で芽生えている強い友情から、そんなことはないと答えたのだ。

こうしてみると、「しろばんば」のなかで展開される「子どもたちの風景」は、筆者の心の中に焼き付いている子どもの頃の思い出と大してかわらないのを覚えるのである。筆者が耕作と同じ年代を過ごしたのは戦後間もない頃のことだが、その頃でも、「しろばんば」で描かれているのと同じような風景が、子どもの世界の中では展開されていたように記憶する。

我々は、近所のちびがきどもと一緒に群をなして飛び回っていた。それも朝から晩まで一日中。群をなしながら、下級生は上級生の顔色をうかがい、上級生は下級生の喧嘩を仲裁したりしたものだった。我々小さながきどもは、そうやって子どもながらに、社会の中で生きていくためのしなやかさを身に着けて行ったように、思われるのである。


    

  
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