日本語と日本文化


中上健次「枯木灘」


「枯木灘」は、「岬」の後日譚という体裁をとっている。「岬」の中で「かれ」という代名詞で言及されていた二十四歳の主人公が、「秋幸」という固有名詞を持った二十六歳の青年として出てくる。人物の輪郭が明確になったのと平行して、舞台設定も明確になっている。「岬」では紀州のどこからしいと思わせていただけだったが、この小説の中では、熊野新宮の門前町の、路地と言われる、周囲から孤立した特殊な空間が舞台である。

題名にある枯木灘とは、紀州の南西部、串本あたりからすさみあたりまでの不毛な海岸を指す名称である。主人公秋幸の母方の先祖は、ここを出て熊野の中辺地を通り、本宮から新宮のあるこの町に下りてきたということになっている。その新宮を中上は、「山を背にして海に開いた町に面を突き出すように岩肌を見せた山の中腹の神社」と表現している。だが小説の中では、この神社はほとんど役割を果たさない。重要な役割は「路地」が果たしている。主人公の秋幸はこの「路地が生んだ私生児」という位置づけなのである。

ともあれ中上のいう路地とは、国を追われた人々が、他国で住み着いた土地として位置づけされている。彼らが周囲の人々から孤立しているのは、彼らがそもそもその土地にとっての異分子だったということに根ざしている、そういうメッセージを中上は発しているわけである。

一方、秋幸の父親の祖先は、織田信長に追われて枯木灘から中辺地を逃げ歩き、隻眼隻脚の身をひきづりながら、新宮の北側の有馬というところにたどりついたということになっている。その何代か後にあたる父親は、路地に現れて三人の女に種を植え付けた。そこから生れた一人が秋幸だったわけである。その秋幸をめぐって展開する物語は、「秋幸の骨の太い体に流れる一つの血ともう一つの血の衝突」というような様相を呈する。

秋幸の体内に流れるこの二つの血のうち、母方につながる血脈との関係が、「岬」では主に描かれていた。この小説では、一転して父方とつながる血脈との関係が専ら描かれる。既に「岬」において、父親が生ませた私生児のひとりである女と秋幸が近親相姦する場面が描かれていたが、その扱い方はまだ控えめなものだった。それがこの小説の中では、秋幸と父親及びその子どもたちとの関係はいっそうおどろおどろしたものになり、挙句には秋幸が腹違いの弟である秀雄を石で打ち殺すに至る。

腹違いとはいえ、実の妹との近親相姦といい、弟殺しと言い、なんとも異常な事態である。その異常な事態を中上は、さも正常な事柄のように描き出している。そのアンバランスのような感じが、読者の度肝を抜くのだと思う。中上は、日本の文学史の上では、他に比較するものがいないほどユニークな位置を占めているが、そのユニークさは、異常と正常との間に明確な境界を引こうとしない中上の姿勢にあると言える。

こういう異常な事態を、説明口調で淡々と書かれたら、読者はしらけるだろう。人間というものは、いくら異常なことがらでも、それを異常と前提したうえでならばなんとか受け入れられるものである。ところが異常な事柄をさも正常な事柄のように見せられると、頭が混乱して、どう受け取ったらいいのかわからなくなる。異常な事柄を描きながら、読者の頭を混乱させずにすませるには、どうしたらよいか。

このアポリアを中上は、彼独特の叙述法で解消しようとしている。それは小説としてのナレーションを、作家による第三者的な事態の叙述という形をとるのではなく、あたかも小説の登場人物の独白のように見せるというやり方である。この方法だと、小説の進行を時間軸にそってリニアに展開する必要はない。その時々の主人公の心に映った風景なり感慨なりをそっくりそのまま書けばよいということになる。そうすると、多少理屈にあわないようなことが展開しても、読者はそれをおかしいとは感じない。もしおかしいと感じても、それは小説としてのおかしさではなく、主人公の心のおかしさとして合理化できる。

こういう方法の例としては、プルースト以来の「意識の流れ」手法というものがあげられる。プルーストの場合には、誰か一人の人間をとりあげて、その意識の流れを再現するという方法を取っている。その点は、この小説のなかで中上が採用しているナレーションの方法に通じるものだと言えよう。この意識の流れの主体を、一人ではなく複数の人物について設定するやり方も無論ありうるわけだが、それは主体が一人である場合とは比較にならないくらい高度な叙述能力が求められる。世界の文学史上、これに成功した例はドストエフスキーくらいである。

登場人物をして語るがままにせしめ、作家は私見をさしはさまないという態度は、普通なら叙述しがたいことでも、さらりと叙述できる利点がある。たとえば秋幸と妹のさと子との関係。これについて登場人物としての秋幸はあれこれと思い悩んでいるが、作家としての中上にはそんな様子は全くない。中上はただ、秋幸が実の父親に向かって、その息子と娘が交わったことを告げた時に、父親にこう言わせるだけだ。「なあ、秋幸。女というものは寝るだけのもんじゃ。女らの言うことは女を下に敷いとる時だけ」。この強烈な言葉も、作家の意見としてではなく、登場人物の考えとして述べられることで、強烈さの度合いを幾分かでもやわらげることになっている。

登場人物の意識の流れを述べることに専念するという方法は、時には叙述の効果を弱める場合もある。たとえば秋幸が弟の秀雄を殺す場面。それを中上はもっぱら秋幸の意識の流れに即して、次のように叙述している。

「秀雄の攻撃から身をよけながら、秋幸は風のない闇を感じた。水の匂いを感じた。一瞬、秋幸は、先程立っていた川原を見たのだった。男は、秋幸のジジババの精霊を送っているのだと言った。男と、ヨシエの腹に生れたとみ子、友一がいる。親和が漲っている。組み敷き、秀雄の目に見つめられた。その両眼を潰そうとするように力をこめて殴りつけた。石をつかみ、頭を打った、秋幸は、何度も思った・・・秀雄が十四年前の、秋幸だった」

これなどは、たとえば村上春樹なら、客観的な(暴力についての)事実描写と(登場人物の)主観的な感情とを組み合わせながら、もっとずっと強い迫力を以て描き出すところだろうと思う。

すぐれた小説は最後の一行が光っている、とはよく言われることだ。この小説の最後の部分は、秋幸の義理の従弟である徹が、白痴の女児に猥褻行為をしようとして手招きするところを描写している。

「また山が鳴った。徹は山鳴りの音を耳にしながら、立ち上がり、顔に笑いをつくって、手招きした」

意識の流れにそって話を展開してきた中上が、事実の客観的な描写で締めくくっていることが面白いところだが、それ以上にこの終わり方には隠れた意味がある。これは物語の終わりに相応しい締めくくり方ではなく、これから別の物語が始める端緒だ、というふうに読者に思わせる終わり方だ。読者は、これから別の新しい物語が始まるであろうことを予感しながら、中途半端な気持でページを閉じることを余儀なくされるわけである。




  
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