日本語と日本文化


丸谷才一の折口信夫論


丸谷才一さんは折口信夫に随分熱中しているのだそうだ。なにしろ、古本屋の店先で「哲学入門」という本を見かけると、「折口学入門」と読み違える程だというから、その熱中ぶりが察せられるというものである。

丸谷さんが折口信夫に傾倒するようになったきっかけは「新古今集」を読んでみたいという気持からだそうだ。折口信夫は新古今集を理解するためのカギを与えてくれるのだという。というのは、新古今集を正しく理解するためには、古代文学と新古今集との関わりがわかっていないといけない、それがわかっているのは折口信夫だけだというのである。

折口は古代日本文学の発生をほぼ独学で研究するうち、日本文学とは呪術と祭祀、つまりお祭りから出て来たものだと考えた。当時の日本文学論は、津田左右吉に代表されるような実証的かつ写実主義的見解が支配的で、折口のこうした見解は非常にユニークだった。

折口は自分の学説の骨格を、柳田国男の研究を媒介にして、イギリスのケンブリッジ・リチュアリストから学んだのだろうと、丸谷さんは推測している。ケンブリッジ・リチュアリストとは、「金枝編」で知られるフレーザーが中心になってできた学派で、芸術の起源を、プラトンの言うような模倣に求めるのではなく、お祭りに求めた。つまり、お祭りにおける呪文とか信仰とかが芸術の起源であると考えたわけである。

柳田国男の「遠野物語」などは、いまでもそうは受け取られてはいないが、フレーザーの「パウサニウス」を下敷きにしているのではないか、と丸谷氏はいう。折口は、その「遠野物語」を読んで痛く感銘を受けた。そしてそれがきっかけになって、本家であるケンブリッジ・リチュアリストの方法を学んでいったのではないかと。

その結果折口は日本文学の起源を信仰に求めるに至った。「日本文学の発生」第四稿に、折口は次のように書いている。「私は、日本文学の発生点を、神授~と信ぜられた~の呪言に据えている・・・」

しかし、折口がケンブリッジ・リチュアリストに学んだといっても、それは単なる模倣ではなかった、と丸谷さんはいう。「これが単なる模倣であったならば、あんなに混沌としたことにはならない。あれだけ晦渋であり、あれだけ混沌としてゐるといふことは、変な言ひ方ですけれども、いかに自家製の部分が多いか、といふことの証明になるでせう」

こうして丸谷さんは、折口信夫の最大の特徴、つまり「晦渋と混沌」に言及する。たしかに折口の文章が晦渋を極め、かつまた論旨が混とんとして理解しがたいことは、折口の読者が口を揃えて言うことである。筆者もまた、折口に魅了せられながら、その晦渋さと混沌さとに難儀させられたもののひとりである。

丸谷さんは、この「晦渋と混沌」の原因を、折口の説明不足に帰している。折口には天才的な直感と大変に豊穣な古代体験があったが、それを説明する能力に欠けていた。「探究することには熱心であったけれども、それを論証し、解説することは彼の手に余った」というのである。

筆者も同感である。折口の発想はたしかに魅力的なのだが、彼はその発想を何らの前置きもなく突如持ち出して、まだ論証せられていない前提に基づいて、どんどん推論を展開するようなところがある。その推論は、いったん前提に疑問が差し挟まれるや全体が一瞬にして瓦解せざるを得ない体のものである。しかし、折口はそんなことには頓着しないで、自分の推論を行きつく先まで展開してしまう。実証を重んじる学問の態度の正反対に位置するものであり、それ故強い批判にさらされたところでもある。

ところで、丸谷さんが折口を最も高く評価する部分は、折口が男女の恋愛というものに対して、非常におおらかであったところだ。折口以前の日本文学の研究者たちは、男女の恋愛を正しく扱うことができなかった。それは国文学の伝統の中で漢学の影響がつよかったことの結果であって、漢学では源氏物語や勅撰和歌集のなかの男女の恋愛は、みだらな出来事として排斥されていたのである。

ところが折口は、この男女の恋愛感情をかえって美しいものと捉えなおした。そのため多くの日本人がふたたび、源氏物語をはじめとする古代の日本文学を正しく享受できることとなった。折口の功績はだから、非常に大なるものがあった、と丸谷さんはいうのである。


    

  
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