日本語と日本文化


坂口安吾「日本文化私観」


坂口安吾は、敗戦直後に発表した「堕落論」の中で、同時代の日本人に懐疑的な目を向けたが、彼のそういう傾向は、敗戦後にわかに表面化したというより、敗戦以前から伏在していたものが、敗戦を契機にして顕在化したということのようである。彼の日本への懐疑的な見方を感じさせる文章は、敗戦前にも書かれている。昭和17年の2月に発表した「日本文化私観」がそれだ。

この文章の中で坂口は、「日本的なもの」についての懐疑的な気持を表明している。彼によれば、日本の伝統的な建築美を発見したのはブルーノ・タウトで、そのタウトが桂離宮に代表される日本の伝統的な美意識を手放しでほめたたえたが、自分にはそんなものよりも、小菅の刑務所とか町なかのドライアイス工場のほうがよほど美しく見える、と言っている。そう言ったうえで坂口は、次のような極端なことを言う。

「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺を取り壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代わってネオンサインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下ろしている限り、これが美しくなくて、何であろうか」

こういうことで坂口は、日本の伝統などというもの一般に対して異を唱えているのだろうか。伝統というものは、形を通じて伝わるものだから、形を破壊すれば、伝統もまた棄損される。これは言うまでもない。だが、それでいいではないか。本当に大事にすべきなのは、伝統なのではなく、今現在の生活であって、その生活が楽しくなるようなもののほうが、伝統よりよほど大事ではないか、どうもそう言っているように聞こえる。

こういう言い方は、一般論としても、また文化論としても、問題があると思うのだが、時代背景を重ね合わせてみれば、また違った相が浮かび上がってくる。坂口がこの文章を発表した昭和17年の2月といえば、真珠湾攻撃からいくばくも経っておらず、日本中が勝利の興奮につつまれていた。その興奮は、いわゆる文化人にも伝染し、日本が西欧に勝利したのは、日本文化の優秀さのしからしめるところであり、その優秀な日本文化を背にして、日本は世界に冠たる国になるべきだという議論が渦巻いていた。小林秀雄をはじめとした、いわゆる愛国人士たちによる座談会「近代の超克」はそうした興奮を物語る出来事である。

そうした興奮のなかで坂口は、それに水をさすような言い方をしたわけだ。こんな言い方をしたら、官憲に引っ張られても不思議はなかったと思うのだが、坂口はどうやら目こぼしにあずかったらしく、引っ張られないですんだ。

ともあれ、現代の読者はこの文章を戦後の「堕落論」と関連させながら、そこに坂口一流の韜晦さを読むことができよう。





  
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