日本語と日本文化


安部公房「密会」


カフカ的不条理を描き続けてきた安部公房が、「密会」では、その不条理を一段と掘り下げようとして、いまひとつ宙ぶらりんな仕上がりになった、ということではないか。この小説で安部は、カフカを越えようとして二つの試みを行っているのだが、それがどうも読者の目には、いかにも作り物めいてしっくりしないところがある。それがこの小説に中途半端な印象を与えるのである。

二つの試みのうち、一つは物語設定の深化、もう一つはキャラクター設定の破格さである。物語設定については、カフカの「城」の設定を更に深化させるという方法をとっている。「城」の主人公は、城から召還されたにかかわらず、城の内部に入る手がかりが得られない。城の手前で無駄な時間を過ごしているうちに、自分の寿命が尽きてしまう。それはおそらく、人間がこの世界での自分の立ち位置を見出し、それを踏み台として自己実現しようとして、それが出来ないでいることの、苛立ちをシンボライズしたものといえるのだろう。安部は、そうしたカフカの物語設定を踏まえながら、主人公に、いわば城の内部に入らせる手続を行う。しかし、城の内部に入れたからと言って、事態は少しも進展しなかったというのが、この小説のミソなのだが、なぜそうなのか、そうした疑問に対しては納得のある回答が、小説の中では示されていない。カフカの城も十分に不条理な物語設定だったが、この小説の不条理さはそれ以上と言ってよい。

不可思議なキャラクター設定は、安部がもともと得意としていたものだが、この小説の中では、それが一層先鋭化して顕れてくる。馬の姿をした男、体が次第に収縮し最後には小さな軟体動物のようになってしまう少女、その母親でいまは綿の布団に変身してしまったもの(もはや人間ではない)、男根を勃起させたままいつまでも眠り続ける医師、そのほか通常の人間の概念をはみ出した擬似人間というべきものたちが登場して、支離滅裂な騒ぎを引き起こす。その支離滅裂さが、一見脈絡のあることがらのように描かれるので、読者としては、なんだかいっぱい食わされているような気がするのである。

カフカの城にあたるものは、この小説では病院である。何故病院なのか。主人公の妻が何者かによって連れ去られたのが、病院だったと思われるからである。少なくとも救急車に乗せられた妻がこの病院に搬送されたのはたしかなようだから、主人公が妻を追ってこの病院にやってくるのは自然な行為であるわけだ。ところが思いがけず、妻の行方がわからない。そこで主人公は様々な病院関係者に面会して、妻の行方の手がかりを知ろうとする。その過程で、妻が運び込まれたときに、最初に立ち会ったはずの警備員であるとか、その夜の当直医であるとか、病院運営の責任者である副院長とか、その秘書である不気味な女であるとか、或は体が次第に収縮する難病にかかっている少女だとかが出てくる。主人公はそうした人達から何とか情報を得ようとするのだが、どういうわけか、病院の副院長から観察の対象とされてしまう。その院長は、馬の体をしていて、男根が二つついている。そのうちの一つは警備主任の下半身を移植したものだ。それはともかく、主人公はこの馬から自分の捜査過程をノートに記録して、それを報告するように求められる。そこで主人公は、自分のおこなった行為を逐次ノートに記録する。小説はその記録と、主人公の時々の独白からなっているのである。

主人公は、病院の中をくまなく探し回る。そんな主人公を病院側ではほぼ完璧に監視している。彼の行動は、逐一副院長によって把握されているのだ。にもかかわらず副院長である馬が主人公にノートの記録を求めるのは、彼を立体的に観察するためらしい。人を立体的に観察することにどのような意味があるのか、小説は語らない。ただ、主人公の身になってみれば、自分が常に立体的に観察されていると意識することは、決して気持のよいものではない。他人とのあいだのひそひそ話はもとより、自分自身に向かってのつぶやきさえも、観察の対象になってしまうというのは、あのオーウェルの世界を思わせる。読者自身がそのような立場に置かれたら、気が狂ってしまうほど不気味になるに違いない。

「城」の中では、酒場で出会った一人の女が主人公を慰めてくれるが、この小説のなかでそれに相当するのは難病にかかった少女だ。この少女は、病院の警備主任であった父親を殺され、母親は全身が綿に変身してしまったという不幸な境遇だ。その少女を主人公は守ってやりたいと思うようになる。父親や母親同様にこのままでは破滅してしまうかもしれないと思ったからだし、その少女に馬である副院長が性欲を覚えているらしいことが、危険なことに思えたからだ。そんなわけで主人公は、この少女を車椅子に乗せながら、病院の中の迷路のような空間を徘徊して歩く。そのあたりの叙述は、これもカフカの「審判」を思わせる。「審判」では主人公が裁判所の巨大な迷路空間を一人でさ迷い歩くのだが、この小説のなかの主人公は、病気の少女を車椅子に乗せて、病院の巨大な迷路をさまよい歩くのである。

ハイライトは、主人公が妻らしい女性にたどりつくことだ。その女性は、病院の中で催された見世物のなかで、全裸になった体のあちこちに電極を付けられ、神経系の実験の検体のような形になっていた。その病院はただの病院ではなく、広大な敷地の中に病院本体のほかにさまざまな建造物が含まれており、全体として一つの街を形成していた。その街の一角にある見世物小屋兼実験場で、主人公は妻らしい女性を見たのだが、果たしてそれが妻なのかどうか確認がもてないうちに、副院長の手下たちによって気絶するほど暴力をふるわれる。

気を取り直した主人公は、どういうわけかあの難病の少女のそばにいたが、その少女は体の収縮が進んで、いまや小さな肉の塊になってしまっている。その少女と二人きりでいると、主人公は自分こそが密会しているのだと感じる。実は自分の妻は強制的に連れ去られたのではなく、自分の意思で消えたのではないか、そしてその理由は誰かと密会することだったのではないか、と主人公は疑ってもいたのである。しかしその妻とはとうとう会えないまま、主人公はいまや肉の塊になってしまった少女と、ふたりきりでひそかに密会しているような気がするのである。

あの見世物小屋で見た女は、馬である副院長と性交をなし、そのさいのオルガスムが最高レベルを記録したということを、男は明日発行されるはずの新聞で知る。「しかしまだ始まっていない過去などというものを認めるわけにはいかない」と男は思うのだが、この病院の中では、病院の外とは違う時空が支配しているかもしれないのである。だから、「いくら認めないつもりでも、明日の新聞に先を越され、ぼくは明日という過去の中で、何度も確実に死に続ける。やさしい一人だけの密会を抱きしめて・・・」

こんなわけでこの小説には、納得のいく結末もないし、また異様なキャラクターたちがなぜそうあらねばならかなったかについての説明もない。あるのは、生きているということは、言葉で説明できるほど単純なことではない、という確信のようなものだけだ。




  
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