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てよだわ言葉:中村桃子「女ことばと日本語」


「てよだわ言葉」とは、女性の言葉遣いを特徴づける文末詞を指す表現として、国語学者の中村桃子女史が造語した言葉だ。「よくってよ」とか、「いやだわ」といった言葉の文末に現れる「てよ」とか「だわ」をとりだして命名したようだ。

もっとも今日では「よくってよ」という表現は余りされなくなった。今日の女性たちは「よくってよ」というかわりに「いいのよ」というはずだ。それ故「てよだわ」より「のよだわ」のほうが時代の状況をよく反映していると思われるのだが、女史はこの言葉に歴史的な背景を見ているから、「てよだわ言葉」という表現にこだわったのであろう。

「てよだわ言葉」が出現したのは、そんなに古いことではないと女史は推測する。おそらく明治12~3年ではないかという。というのも、作家の尾崎紅葉が明治21年に書いた随筆「流行言葉」のなかで、「今より8~9年前小学校の女生徒がしたしき間の会話に一種異様なる言葉づかひせり」と書き、その例として「梅はまだ咲かなくってよ」とか「桜の花はまだ咲かないんだわ」などをあげているからだ。

女性たちの中でも「てよだわ言葉」を使い始めたのは、紅葉も云っている通り、女子学生たちであった。女子学生たちは、新たな社会的存在となった自分たちのアイデンティティを創造するひとつの方法として、「てよだわ言葉」使い始めたのではないか。そう女史は推測する。

だが「てよだわ言葉」が広く社会に浸透していくのには、別の事情が働いた。それは西洋の翻訳小説や日本の作家たちの新しい小説の中で、女性言葉として「てよだわ言葉」がもちいられ、それを一般の女性たちが模倣することを通じて、広い範囲に伝播していったというのである。

当時、外国の小説を日本語に翻訳するときに、女性にどんな言葉を話させるかが非常に問題になった、従来一般の女性が使っていた言葉は、敬語がやたらと多く、西洋の女が話すにしてはあまりにまどろっこしく聞こえた。そこで、女子学生が使っている「てよだわ言葉」を採用したところ、非常に具合がいい。そんなところから翻訳小説に使われたことがきっかけになって、日本の作家も女性の話し言葉として積極的に取り入れた。どうもそういうことらしいのである。

佐藤春夫も「国語の順風美化」(1941年)という文章の中で、「そのころ、・・・てよ、・・・だわなどの女の日常会話の言葉も、その頃の小説家の・・・工夫が一般に用いられたもので、・・・はじめは小説の中の会話を読者の女学生が・・・口真似したものが、後には一般の用語となって今日の如く広まった」と書いている。

ところで、この「てよだわ言葉」は今日の感覚からすれば丁寧な言葉遣いに聞こえるが、当初はそうではなかったと女史は言う。むしろ軽薄な言葉遣いとして考えられていた。少なくとも、妻や母となった女性が使うべき言葉ではなかった。

ということは、「てよだわ言葉」は女学生たちが使う特別な言葉として認識されていたということである。そして、その女学生たちの使う特別な言葉としての「てよだわ言葉」には、セクシュアリティが結びついていたと女史はいう。つまり「てよだわ言葉」を使う女学生は、エロティックな存在として、男たちの視線の対象となったというのである。

たとえば、小説「それから」のなかで、漱石は女主人公の三千代に一度だけ「てよだわ言葉」を話させているが、それは大助から愛を打ち明けられたという特別のシチュエーションの中での例外的な出来事としてであり、それ以外の場面では、三千代は一貫して丁寧な敬語づかいで話している。そのことは、漱石においても、「てよだわ言葉」がセクシュアリティとの関連においてとらえられていたことを物語っているというのである。

それ故、小栗楓葉のポルノ小説に出てくる女たちはみな、「てよだわ言葉」を使っているというわけである。たとえば「私も行ってよ、もう行ってよ、ああ心が・・・抜けっちまいそう・・・ああ、いいのよ・・・ふうふう、はあはあ」といった具合である。

このように、「てよだわ言葉」には、女学生たちが使う特異な言葉遣いであり、正式な言葉づかいではない、とする言説が常にまとわりついていたと女史は言う。

そんな「てよだわ言葉」が今日では、教養ある女性たちにも使われ、それを聞く男性の耳にも違和感を感じさせなくなったことの背後にどんな事情が作用したのか、そのことについては、この本では触れられていない。


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