日本語と日本文化


旧国名考その三 南海道、西海道


南海道は紀州から四国にかけて広がる地域であり、紀伊、阿波、讃岐、伊予、土佐を含む。西海道は九州の地域をカバーし、豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隈の諸国を含む。

紀伊 紀伊はもともと「き=木」の国といった。この地域には杉の森が広がり、都に建築材料の木材を提供していたことから、そう名づけられたのだと思われる。和銅六年国名二文字化政策により、「紀伊」とされた。

阿波 阿波は古事記では「粟」と表記されているから、植物の名を国名にしたのかも知れぬ。また鳴門海峡の渦巻きから名づけられたとする説もある。古代においては四国の玄関にあたるところだった。淡路は粟に続く道という意味である。

讃岐 讃岐は狭貫とも書く。北を海に南を山に囲まれ、東西に長いことから、狭く抜けたような土地という意味で、名づけられたと思われる。

伊予 伊予(いよ)の(よ=予)は(ゆ=湯)の転化した形と考えられる。するとこの国はもと「湯の国」であったわけだ。湯は道後温泉をさす。このように当初「予」の国であったものが、和銅六年、二文字化政策によって、「伊予」となった。

土佐 土佐の語源はよくわからない。土狭とかき、狭い土地を表すとする説もある。

太古の九州北部は「とよ=豊」、「つくし」、「ひ=火」の三国からなり、南部には日向があったほか、肥後南部から薩摩にかけての地域は熊襲の国と呼ばれていたらしい。それらが整理されて最終的に九つの国になるのは、和銅六年のことであろう。

豊前 豊後 豊前、豊後の両国を含む地域をもと「とよ」の国といっていた。「とよ」とは豊かなという意味である。律令制定以前にすでに分割されていた。

筑前 筑後 筑前、筑後をあわせて、もと「つくし」の国といっていた。つくしとは春に生える草の名のことである。そのようにのんびりとした国のイメージがあったのだろう。律令制定以前に、筑前、筑後に分割された。

肥前 肥後 肥前、肥後をあわせて、もと「ひ=火」の国といっていた。火とは阿蘇、雲仙の両火山から吹き上げる火をさす。火山の国といったイメージが強かったのだろう。律令制定以前に、肥前、肥後に分割された。肥前は今日、長崎、佐賀の両県にまたがっている。

日向 日向は「ひむか」といった。太陽が出てくる方角を向いた土地という意味である。日本神話の天孫降臨を踏まえた命名だと思われる。

薩摩 薩摩は熊襲の国であったものを、西暦702年にあらたに国として建置されたものである。薩摩の語源は良くわからぬが、「狭つ間」つまり海や山に囲まれた狭い土地とする解釈もある。

大隈 大隈は和銅六年に、日向から分割された。日本の一番南の端にある国という意味である。


    

  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME日本史覚書次へ




作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2012
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである