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旧国名考その二 山陽道、山陰道


山陽道は山陽道沿いに広がる諸国、播磨、備前、美作、備中、備後、安芸、周防、長門を含む。山陰道は山陰道沿いに広がる諸国、丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、石見を含む。現代では大部分が中国地方に含まれる。

播磨 「はりま」は漢字で「墾間」とも書き、開墾された土地を意味した。播磨地方は古代には入り江になっていたことが確認されており、後に開墾されて陸地になった土地である。そこからこの地方を「はりま」と呼び、後に「播磨」と書くようになった。

備前、備中、備後 備前、備中、備後をあわせて、もと「吉備」とよんでいた。前中後の三国に分割されたのは、大宝律令以前の古い時期のことらしい。

吉備とは植物の黍のことである。古代にはこの地方は黍の産地であったのかもしれぬ。桃太郎伝説は吉備と結びついているが、その中に黍団子が出てくるのは、以上のような事情が作用しているのであろう。

美作 美作は和銅六年に備前から分国された。「うま酒」が語源だという説もあるが、こじつけの可能性が強い。むしろ「三間坂」から転じたのだろうという見方のほうが説得力がある。筆者はいまだつまびらかにしない。

安芸 安芸の語源はよくわからない。海浜や河川に沿う水運に恵まれた土地だとする解釈があるが、それが何故「あき」という言葉と結びつくのかわからない。

周防 周防の語源もよくわからない。「すは」から「すばる」を連想し、そこから狭まった地形を連想するとする説もある。 

長門 長門はもと「あなと=穴門」と称していた。穴門とは海峡のことを意味する。それが長門というようになったが、海峡のイメージは残っている。

丹波 「丹波」はもと「たには」といった。それが音便によって「たんば」と変わり、「丹波」の字を当てられた。「たには」には「谷の端」つまり盆地状の土地という意味がある。

丹後 丹後とは丹波より下がったところにあるという意味である。和銅六年丹波より分国。

但馬 但馬はもと、多遅麻・田道間などと三文字で書かれていたが、二文字化政策で現在の形になった。意味するところはよくわからない。

因幡 因幡は「稲羽」とも書く。稲と関係が深いと考えられる。

伯耆 伯耆は「ははき」と書くことから、塵を履く「箒」と関連があるのかもしれない。

出雲 出雲は「いづも」と書いた。「つも」は古代日本語で雲を指す。その雲の出る国という意味で「出雲」と名づけられたのだろう。

出雲は国譲り神話の舞台となった土地だ。そこを大和朝廷の祖先たる高天原の神々が服属させたのはいうまでもない。大和が国の中心として、なにかと太陽と関連付けられるのに対して、征服された側の出雲は雲と関連付けられたのかもしれない。

石見 石見は「いはみ」と書き、「いはうみ=岩の海」をさしたと思われる。つまり岩のころがる海岸の国という意味である。


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