日本語と日本文化
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漢字音の日本語音韻体系への組み入れ


日本人の祖先が始めて漢字に接したとき、彼らはそれをもとの音に似せて発音したであろう。なにしろ漢字は中国という外国の言葉であり、日本語とは全く異なった原理に立つ言葉だから、現在の日本人が英語を英語らしく表現しようとするのと同じく、漢字を外国語として表現しようとしたに違いない。日本人が漢字を日本化し、漢字を用いて日本語を表現できるようになるには、長い時間が必要だった。

ところが日本人が漢字音を発するにあたっては、大きな障害があった。漢語と日本語の音韻体系の相違によるものである。

西洋の言語学風にいうと、子音と母音からなる音韻体系は民族によって異なっている。その結果、ある民族の音韻が他の民族の人の耳には正確に伝わらず、その音に類似した別の音に置き換えられて伝わるようなことが起こる。

たとえば現代の日本人は英語の子音のうち、lとrの区別ができないし、thの音を耳で聞き分けることは不可能に近い。また英語にあるアの音のバリエーションを聞き分けることができない。したがってlとrを伴う音はいずれも「らりるれろ」に置き換えて受容され、thの音は「ざじずぜぞ」と聞こえる。また英語では明確に聞き分けられる母音が一様に「ア」として聞こえるようになる。

古代の日本人がはじめて漢字音を聞いたときにも同じような現象が生じたに違いない。古代の日本人は自分たちの音韻体系にない漢字音を、自分たちが用いていた音韻の体系に転換あるいは組み入れることによって、表現したものと考えられる。

ここで日本と中国との音韻体系の相違を整理してみると次のようになる。

現代日本語の音韻は、9つの清音と4つの濁音からなる13種類の子音および5種類の母音からなる。それを組み合わせてできあがる音韻の数は45通り、これに「ん」を加えて合計46である。橋本進吉の研究によれば、古代にはもっと多くの子音があったようで、それを前提にすれば、古代日本語は80数通りの音韻を有していたという。

中国語においては、音韻を子音と母音に分解する方法とは違って、声母と韻母に分ける方法をとっている。たとえば「東 tung」という字の中で、tが声母、ungが韻母にあたる。

言語学者の大島正二が中国側の研究を踏まえてまとめているところによると、古代中国には、36種類の声母と300種類以上の韻母があったらしい。

これら声母、韻母の中には古代の日本語にないものが沢山あった。だから当時の日本人たちは、それを類似した日本語の音に置き換えて発音していたと思われる。たとえば日本語にはない喉音をkに置き換えたり、半舌音をlやzで置き換えた。その結果は今日まで日本語として通用している。

古代両言語の音韻体系のもっとも大きな相違は、古代の日本語には(今日でもそうだが)、音節が子音+母音の形をとる「開音節」しかなかったのに対して、中国にはそのほかに「閉音節」もあったということである。

閉音節とは音節の末尾が子音やngで終わるものである。これらのうち、子音で終わるものは中国の今日の標準語からは失われたが、ngで終わるものはまだ残っている。

日本人はその相違を克服するために、一音節の言葉を二音節にしたり、ngの音を「ウ」に変えたりしてこれを日本語化した。たとえは「一it」を「いち iti」に、「十 jip」を「ジフ jifu」に、「仏 but」を「ブツ butu」に、「白 pak」を「はく haku」に、また「江 kang」を「カウ kau」にといった具合である。その後の日本語の音韻変化の結果、「ジフ」は「ジュー」に「カウ」 は「コー」へと変化している。

同じような現象は、漢字文化の影響を強く受けた朝鮮語やベトナム語にも見られるという。ただ朝鮮語の場合には、日本語とは異なって「閉音節」がもともと存在していたし、母音の数も日本語より多かったから、兄弟語と呼ばれるくらい似た言語にかかわらず、漢字音の自国語への組み入れ方は、日本語とは非常に異なったものになった。


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