日本語と日本文化
HOME | ブログ本館東京を描く日本の美術日本文学万葉集プロフィール | 掲示板




長音(チョーかわゆい音)


長音とは、母音を長く伸ばして発する音をいう。現代の若者たちの間では、「チョーかわゆい」とか「うれピー」とかいった類の言葉が氾濫しているが、これらは皆長音である。ここで論じている「長音」という言葉も、表記上は「ちょうおん」と記すが、実態としては「ちょーおん」と発音する人が殆どであり、やはり言葉が長音化している一例である。

ことほど現代語において多用されている長音であるが、歴史を遡ってみると、古代の日本語においては存在せず、中世以後現れた現象なのである。

古代の日本語においては、母音が独立して使われるのは語頭のみであって、語の中途や末尾に現れることは、極く少数の例外(「かい=櫂」や「まうす=申す」など「い」と「う」について)を除いてなかった。ところが、漢語が入ってくると、「敬=けい」、「礼=れい」の如く「い」が語尾に来る言葉や、「そう=僧」、「わう=王」、「せう=笑」の如く「う」が語尾にくる言葉が日本語にも大量に入ってきた。これらの言葉は、当初は文字通りに発音されていたと思われるが、時代の流れに従い、語尾の母音が直前の語に含まれる母音と一体化して、長音として発音されるようになった。「けい」は「けー」に、「そう」は「そー」に、「わう」は「をー」に「せう」は「しょー」にといった具合である。

これは、一民族が異民族の文化を受容する際に起こる、摩擦解消の一例として考えることができよう。英語においても、原型としてあったゲルマン語系言語の上に、ノーマンコンクェストによってラテン語系の言葉が加わったために、言語体系はユニークな発展をたどった。

長音化は、漢語においてのみならず、古来の日本の言葉においても起こった。まず、動詞の語尾に多用されていた「ふ」という音が、「う」にかわった結果、
旧来の「言ふ」は「言う」に転化し、さらに「ゆー」と発音されるようになった。また、音便作用の結果として、「なつかしく」が「なつかしう」となり、さらに「なつかしゅー」と転ずるような現象があらわれた。

さて、言葉の長音化は、実態としては進行したのであるが、表記上は記されることなく、旧来の慣例に従った表記がなされ続けた。一昔前の表記に「喋喋」を「てふてふ」と書いてあるのを、子どもがふしぎがることがよくあったが、これなどは、表記と実態とがずれていたことの典型例である。現代語においては、長音は「-」の形で表され、発音の実態をそのまま反映している。

ところで、現代における長音の氾濫には、目を見張るものがある。漢語起源の言葉や外来語を長音化する作用には、それなりの事情も認められるが、現在では、本来の日本語にも長音化の現象が氾濫している。一昔前までは、たとえば「かえる」を「けーる」といったり、「いない」を「いねー」といったりすると、下品な印象が付きまとったものだが、現代の若者にはそんなことはないらしく、長音は「かわゆーい」音として受け入れられているようである。


HOME日本語の歴史次へ







作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである