日本語と日本文化
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日本語の音韻の変遷について


実証的な国語学者橋本進吉博士による、古代国語の音韻研究は、日本語の音韻研究の基礎をなす重要な業績である。その学説の概要は、岩波文庫「古代国語の音韻について」の中にコンパクトに収められているので、是非一読してほしい。ここでは、博士の説に依拠しながら、日本語の音韻の変遷について、考えてみたい。

博士の説は次の何点かに要約できる。
1 日本語を構成する最小単位は音韻である。それもいろは歌や50音表にまとまられた短音が語の基本単位になっていて、日本人はこれらの短音を組み合わせることで言葉を組み立てる。たとえば、「おと=音」という言葉は、「お」という短音と「と」という短音が結合してできた言葉である。これらの短音は、博士の時代には、いろは47文字(「ん」を加えると48文字、それに濁音を加えると68文字)に分類されていた。ひとびとはこれらの短音が悠久の昔から変わらないものと思っているが、実は時代による変遷があり、奈良時代初期には87(または88)の短音があった。

2 短音についてのみいえば、日本語の音韻は次第に数を減じ、シンプルなものになったようにみえる。しかし一方で、今日普通に用いられている拗音(きゃ、きゅ、きょの類)、促音(いった、さったの類)「ん」を含む言葉(死んだ、生んだの類)は古代にはなかったものであり、漢語の影響を受けて生まれたものである。近代以降には、西洋語の影響が加わり、「ぱ」行や濁音で始まる言葉も生まれるようになった。これに長音を加えると、音のバラエティは、古代よりも現代において豊かなように思われる。

3 音韻はさらに細かく分解すると、構成要素たる母音と子音に分かれる。英語などのヨーロッパ言語においては、母音、子音のひとつひとつに符号としての文字があてがわれるのに対して、日本語においては、子音と母音が結合した音韻に対して、具体の文字があてがわれる。今日の日本語においては、5つの母音と、9つの子音が認められるが、太古にあっても同様であったかは断定できない。子音のうち、「は」行や「わ」行のようなかつて唇音であったものについては、その発音に歴史的な変遷が認められる。

4 日本語の音韻には、上述したような変遷が認められるのであるが、奈良時代以降大して変化しないものも多く、概していえば、日本語の音韻の変化はさして甚だしいものとはいえない。

博士は、僧契冲、本居宣長、石塚龍麿ら先人の業績を繙きながら、自らの学説を深めていったのであるが、実証的で控えめなその態度には、大いに共感できるものがある。国語学者としての博士の姿勢は、一国の言語というものは一枚岩で不変なものではなく、地域によって音韻や語彙に差があり、また時代によっても変遷が認められるというものである。それでもなお、日本語を総体としてみれば、変遷の中にも変わらぬ核のようなものが存在し、それあるがために、われわれ現代の日本人は、古事記や万葉集のような悠久の昔に書かれた書物をも、させる困難もなく、読み解くことができるのである。

そこで、変化と不変と、どちらに重点をおくかという問題があるが、学問を楽しむという視点からは、変化の様相をたどることから始めて、そこに不変のものを認めるというのが、楽しさを倍増させる方法だろう。

当分の間、博士の学説のあれこれの部分に拘泥しながら、日本語について考えてみたい。


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