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曽根崎心中道行 血死期の霜


近松門左衛門の世話浄瑠璃「曽根崎心中」は、最後の部分をお初徳兵衛の死出の旅の道行文で飾っている。その稀代の美しさが、儒学者の荻生徂徠でさえ感嘆せしめたと、後に大田南畝が書いているほどの名文である。

文字が現しているように、道行文とは主人公たちの場所の移動を調子よく説明するために導入されたものだった。だがその場所の移動を単なる行為ではなく、意味を帯びた行為として語るのが、語り物の伝統である。

たとえば説経「をぐり」においては、地獄からこの世に甦った小栗判官が、大嶺を目指して移動する場面でこの道行き文が語られる。甦ったばかりの小栗判官は、まだ死体同然の風袋で、歩くこともかなわねば、眼を見ることもかなわない。そんな小栗を、最初は藤沢の念仏聖が、ついで恋人の照手姫が、いざり車に乗せて、大嶺へむけて運んでいく。運ぶものも運ばれる当人も、互いに自分が誰であるか身分を明かすこともない。

だが道行が終末に近づくにしたがって、小栗は力を回復し、それが終わる頃には生前の姿を取り戻すに到る。道行文は、小栗の復活を語るための、ドラマティックな装置として用いられているのだ。

同じような用いられかたは「さんせう太夫」を始めとしたほかの説教節にも見られるほか、古浄瑠璃にもみられるし、もっとも古い芸能の形態である能の中でも頻繁にみられる。

だから死出の旅路を語るのに、この道行き文をもってきたことには、それ相応の理由があるといえる。近松の新しかったところは、それでもって段落全体を飾ったことだ。

近松がここで道行文を用いたことの理由として、もうひとつ考えられる。道行というものは旅を語るものであるが、そのたびは単なる水平的な場所の移動であるに留まらない。旅をするものはそのことによって、ある意味での垂直的な移動をする。つまり旅によって穢れをはらわれ、聖なるものに一歩近づくのだ。

お初徳兵衛の死出の旅は、たしかにあの世へと向かう旅ではあるが、この旅の先にふたりを待っているのは、単にこの世の終わりではない。かれらは旅をすることによって、清められ、そのことを通じて尊いものへと高められるのだ。

そうでなければ、なぜ彼らが道行きの旅をしなければならなかったか、そのわけがわからなくなる。単に心中をするためなら、何も旅をする必要はない。

さて、この美しい道行き文を、一つ一つ読んでいこう。最初はふたりが心中を決心して、曽根崎の森に向けて旅立つところだ。「七ツの時が六ツ鳴りて、殘る一ツが今生の、鐘の響きの聞納め」とあるように、夜が明けるまではあまり時の余裕がない。夜が明ける前に心中を成就しなければならない。

フシ「此世の名殘夜も名殘、死に行く身を譬ふれば、
スエテ「仇しが原の道の霜、一足づつに消て行く、夢の夢こそ
フシ「哀れなれ。
ワキ「あれ數ふれば曉の、七ツの時が六ツ鳴りて、殘る一ツが今生の、鐘の響きの聞き納め、
太夫「寂滅爲樂と
二人「響くなり、鐘ばかりかは草も木も、空も名殘と瞰上れば、雲心なき水の面、北斗は冴て影映る、星の妹脊の天の川、梅田の橋を鵲の橋と契りて何時までも、我とそなたは夫婦星、
地「必ず添ふと縋り寄り、二人が中に降る涙、
フシ「河の水嵩も増るべし。
フシ「向ふの二階は何屋とも、覺束情最中にて、未だ寢ぬ火影聲高く、
ヲドリ「今茲の心中善惡の言の葉草や繁るらん。
太夫「聞くに心も呉織、綾なや昨日今日までも、餘所に言ひしが明日よりは、我も噂の數に入り、世に謡はれん謠はれん。謠はば謠へ、
フシ「謠ふを聞けば、
歌二人「どうで女房にや持やさんすまい。いらぬものじやと思へども、
太夫地「實に思へども歎けども、身も世も思ふ儘ならず。何時を今日とて今日が日まで、心の舒し夜半もなく、思はぬ色に苦しみに、
歌「どうした事の縁じややら。忘るる暇はないわいな。それに振えい捨て行かふとは、やりゃしませぬぞ手にかけて、殺して置いて行かんせな。放ちはやらじと泣きければ」
太夫地「唄も多きに彼の唄を、時こそあれ今宵しも、
ワキ「謠ふは誰そや聞くは我。
二人「過ぎにし人も我々も、一ツ思ひと縋り付き、
スエテ「聲も惜まず泣き居たり。平常は左もあれ此夜半は、せめて暫は長からで、心も夏の夜のならひ、命追ゆる鶏の聲、明けなばうしや天神の、森で死なんと手を引いて、
オクリ「梅田堤の小夜鴉、
フシ「明日は我が身を餌食ぞや。
太夫「誠に今歳は此方樣も、二十五歳の厄の年、妾も十九の厄年とて、思ひ合ふたる厄祟り、縁の深さの
フシ「しるしかや。
地「神や佛にかけ置きし、現世の願を今此處で、未來へ囘向し後の世も、猶しも一ツ蓮ぞやと、爪繰る珠數の百八に、
スエテ「涙の玉の數添へて、
フシ「盡きせぬ哀れ盡くる道、
二人「心も空に、影暗く風しん/\たる曽根崎の、
フシ「森にぞ辿り着きにける。

曽根崎の森についてみると、そこには人魂があやしい光を放って揺らめいている。ふたりは、ここで死ぬるのはふたりだけの孤独な行為ではなく、多くの不幸な人魂に見守られてのことなのだと、自らを慰める。

地「こなたにかかしこにかと、拂へば草に散る露の、我より先にまづ消えて、定めなき世は稻妻か、
オクリ「それかあらぬか。
色「アヽこは、今のは何といふものやらん」
詞「ヲヽあれこそは人魂よ、今宵死するは、我のみとこそ思ひしに、先立つ人もありしよな。
地「誰にもせよ、死出の山の伴ひぞや。
色「南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛の聲の中、あはれ悲しや、又こそ魂の世を去りしは。
色「南無阿彌陀佛と稱ふれば、女は愚かに涙ぐみ、今宵は人の死ぬる夜かや。淺ましさよと涙ぐむ。男涙を潸然と流し、
詞「二ツ連れ飛ぶ人魂を、餘所の上と思ふかや。正しう御身と我が魂よ、
地「なになう二人の魂とや。はや我々は死したる身か、ヲヽ常ならば、結びとめん繋ぎとめんと歎かまし。今は最期を急ぐ身の、魂の所在を一所に栖まん、道を迷ふな違ふなと、抱き寄せ肌を寄せ、
スエテ「かつぱと伏して泣き居たる、
フシ「二人の心ぞ、不便なる。

死ぬ前に思い浮かぶのは生前のこと。とりわけ両親への恩愛の情が改めてこみ上げる。徳兵衛の両親はすでにこの世の人ではないが、お初の両親はまだ生きている。だが両親への恩愛よりも強いのは、二人の間の夫婦の情、いまこうしてふたりして死ぬることのうれしさよ、こういってふたりは最後の行為へと突き進むのだ。

フシ「涙の糸の結び松、椶櫚の一樹の相生を、連理の契になぞらへ、露の憂き身の置き處、サア此處に極めんと、上着の帯を徳兵衞も、初も涙の染小袖、脱いで懸けたる椶櫚の葉の、
オクリ「其の玉箒今ぞ實に、
フシ「浮世の塵を
地「掃ふらん、初は袖より剃刀出だし、もしも道にて追手のかかり、割れ/\になるとても、浮名は棄てじと心懸け、剃刀用意いたせしが、望みの通り一所で死ぬる此の嬉しさと
色「いひければ、
詞「ヲヽ神妙頼母し。左程に心落付くからは、最期も案ずる事はなし。さりながら今はの時の苦患にて、死姿見苦しといはれんも口惜し。
地「此の二本の連理の木に體をきつと結ひつけ、いさぎよう死ぬまいか、世に類なき死樣の手本とならん、如何にもと、淺ましや淺黄染、かかれとてやは抱え帯、兩方へ引張て、剃刀取てサラ/\と、帯は裂けても主樣と、妾が間はよもさけじと、どうど座を組み二重三重、動がぬ樣に
色「しっかと締め、
詞「よう締つたか、ヲヲ締めましたと、
地「女は夫の姿を見、男は女の體を見て、こは情なき身の果ぞやと、
スエテ「わつと泣入るばかりなり、アヽ歎かじと、徳兵衞顏振り上げて手を合はせ、我幼少にて誠の父母に離れ、叔父といひ親方の苦勞となりて人となり、恩を送らず此儘に、亡き跡までも兎や角と、御難儀かけ
フシ「勿體なや。罪を許して下されかし、冥土にいます父母には、追付け御目にかかるべし。
スエテ「迎へ玉へと泣きければ、お初も同じく手を合せ、こな樣は羨めしや、冥土の親御に逢はんとある。妾が父樣母樣は、まめで此の世の人なれば、何時逢ふ事のあるべきぞ。便は此の春聞きたれども、逢ふたは去年の初秋の、初が心中取沙汰の、明日は在所へ聞えなば、いかばかりかは歎きをかけん。親達へも兄弟へも、是から此の世の暇乞。せめて心が通じなば、夢にも見えてくれよかし。懷しの母さまや。名殘惜しの父樣やと、しやくり上げ/\、
フシ「聲も惜しまず泣きければ、夫もわつと叫び入り、流涕こがるる心意氣、ことわりせめて哀れなれ。

最後は心中そのものの場面、まず徳兵衛がお初ののどをかみそりで引き裂き、彼女の息が耐えないうちに自らののどをかき裂く。こうすることでふたり同時に死のうとするのだ。

地色「何時までいうて詮もなし。はや/\殺して/\と、最後を急げば心得たりと、脇差するりと
色「拔き放し、サア只今ぞ。南無阿彌陀々々々々々と、いへどもさすが此の年月、いとし可愛と締めて寢し、肌に刃あてられふかと、眼も暗み手も顫ひ、弱る
色「心を引直し、取直しても猶顫ひ、突くとはすれど切先は、彼方へ外れ此方へ反れ、二三度閃く劍の刃、あつとばかりに

色「喉笛に、ぐつと通るか、南無阿彌陀、南無阿彌陀、南無阿彌陀佛とくり通し、繰通す腕先も、弱るを見れば兩手を伸べ、斷末魔の四苦八苦、
オクリ「哀れといふも餘りあり。我とても後れうか。息は一度に引取らんと、剃刀取つて喉咽に
色「突立て、柄も折れよ刃も碎けとえぐり、くり/\目も眩めき、苦しむ息も曉の、
フシ「知死期につれて絶果たり。
地「誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え、取傳へ、貴賤群集の回向の種、未來成佛
色「疑ひなき戀の、手本となりにけり。

心中はいつの世にも無残なものだ。それも愛するもの同士が、相手の体を傷つけあいながら死んでいくわけだから、その陰惨さは言葉にたとえようもない。曽根崎心中をみた観客たちもそこにやりきれない感情のわきあがるのを感じたことだろう。

だが彼らの死は決して無駄なことではなかった。なぜならかれらは自分たちの愛を貫くために心中を選んだのだから。そして死にゆく前の道行きの儀式によって、彼らの業は十分に清められたのだから。

近松はどうも、このように訴えかけたかったようだ。


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