日本語と日本文化


冥途の飛脚三段目:忠兵衛梅川相合駕籠


冥途の飛脚三段目(下の巻)は、忠兵衛と梅川の絶望的な逃避行を描く。まづ冒頭で二人の相合駕籠の道行が語られる。二人が向かう先は大和の国の新口村、忠兵衛の生まれ故郷であるが、実家の父親は今では後妻をもらい、養子に出した忠兵衛のことは人にくれたものとあきらめている。そんな父親でも親子は親子、息子は死出の門出に会いたいと思うのだ。

大阪を出た二人は、人目を忍んで駕籠を乗り継ぎ、やっと大和の新口村にたどり着く。

地色「無慚やな忠兵衛我さへ浮世忍ぶ身に、梅川が風俗の人の目立つを包みかね、借り駕籠に日を送り、奈良の旅籠屋三輪の茶屋、五日三日夜を明かし廿日あまりに四十両、使ひ果して二分残る金も霞むや初瀬山、よそに見捨てて親里の新口村に
色「着きけるが

新口村には、すでに追手がかかり、二人をからめ捕ろうと大勢の飛脚仲間が待ち構えていた。

地「清める世の
フシ「掟正しく
地色「畿内近国に追手かかり中にも大和は生国とて、十七軒の飛脚問屋或は順礼古手買、節季候に化けて家々を覗きの機関飴売りと、子供に飴をねぶらせて、口をむしるや罠の鳥、網代の魚の如くにて
フシ「逃れがたき命なり

この絶望的な状況の中で、忠兵衛は何とか追手の目を盗んで父親と会いたいと願う、しかし父親の周辺には追手の目が光っている、そこで忠兵衛は昔友達の忠三郎を頼る、

いよいよ父親の孫衛門が、雪道の中を寺参りから帰ってくる。孫衛門はすでに、息子が大それたことをしでかし、大勢の追手がかかっていることを知っている。そんな父親に忠兵衛は面と向かって会いにゆくことができない。そのかわりに梅川が、挨拶をするのだ。

孫衛門が下駄の鼻緒を切って難儀しているところへ、梅川が助力を申し出る。梅川を見た孫衛門は、倅の連れ合いであることをすぐに見抜くが、孫衛門も梅川もそれに触れることはせずに、淡々としたやり取りをする。梅川はその行為を忠兵衛の妻として演じ、孫衛門は梅川を倅の女房として認め、受け入れるのである。

このように三段目は、夫婦と親子と、家族の恩愛ともいうべきものを描いている。そこがほかの心中ものとは一風異なったところだ。恐らく現実に起きた事件に引きずられる形でこうなったのであろうが、そのことによって、恋愛劇としては興味が拡散したことは否めない。

ひとつ救いとなる点を挙げるとすれば、梅川を忠兵衛の女房として描くことによって、ほかの心中ものにはない、女の健気さのようなものが描かれている点であろう。この劇は、男である忠兵衛の思慮のなさと下手な生きざまを、女である梅川が繕い、そのことでみじめさが幾分でも償われ、二人の最後に人間的な輝きがもたらされていると感じられるのである。

最後は二人が追手にかかり、しかも父親の孫衛門もそれを目の前にするところで終わる。

詞「亀屋忠兵衛槌屋の梅川
地「たった今捕られたと北在所に人だかり、程なく捕手の役人夫婦を絡め引き来る、孫衛門は気を失ひ息も絶ゆるばかりなる、風情を見れば梅川が夫も我も縄目の科、眼も眩み泣き沈む忠兵衛
色「大声あげ
詞「身に罪あれば覚悟の上殺さるるは是非もなし、御回向頼み奉る親の嘆きが目にかかり、
地カカリ「未来の障これ一つ面を包んで下されお情なりと泣きければ、腰の手拭引絞りめんない千鳥百千鳥、鳴くは梅川川千鳥水の流れと身の行方、恋に沈みし浮名のみ難波に、残り留まりし

めんない千鳥とは、子供の遊びの中で、目隠しをされた鬼のことだ、忠兵衛はその鬼のように、手拭で目隠しされることを願った。父親に自分の顔を見られたくなかったのだ。


    

  
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