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出世景清二段目:阿古屋の訴人


出世景清には劇を彩る女性として、阿古屋と小野の姫の二人が登場する。二段目は、その阿古屋と景清との悲しい行き違いの始まりを物語るものだ。まず二人のなりそめが語られる。

地「景清も、常に清水寺の観世音を信じ奉り、参詣の道すがら清水坂のかたほとりに、阿古屋といへる遊君に、
フシ「かりそめ臥しの仮枕、いつしか馴れて今ははや二人の若をぞ
色「儲けける、兄の弥石六歳弟の弥若四歳にて、世におとなしくぞ見えにける、阿古屋はもとより遊女なれども、妹背の情こまやかに世になき景清をいとほしみ、二人の子供を養育し兄には小弓小太刀を持たせ、父が家業を継がせんと、習はぬ女の身ながらも兵法の打ち太刀し、武道を教ゆる心ざし類まれにぞ、聞えける」

大仏供養の現場で頼朝を打ち損ねた景清は、清水においてある阿古屋のもとへと身を隠す。阿古屋との間には二人の子もあり、そこで家族そろって安穏に暮らす選択もあるはずだが、景清の心はあくまでも仇敵を討って怨念を晴らすこと。妻子への気遣いはこれっぽちも感じられない。

そのうえ、景清には熱田の大神宮の娘小野の姫という恋人まである。この劇の中では、小野の姫の貞節ばかりが強調されて、阿古屋の方は悪女のように描かれているが、現代人の感覚からすれば、自分勝手な目標のために妻子を見捨て、その上不倫までしてはばからない景清こそ罪深いと受け取れるところだ。

そんな景清に向かって阿古屋は、他の女との浮気をあてこする、だが景清はそんなあてこすりをはぐらかして、自分が思っているのはお前ひとりだなどと、ぬけぬけという始末なのだ。

地色「此の頃聞けば大宮司の娘小野の姫とやらんに深い事と承る、尤もかなみづからは子持筵のうらふれて、見る目にいやとおぼすれども子にほだされての御出でか、悋気するではなけれども浮世狂ひも年による、しやほんにをかしいまで
フシ「よい機嫌じゃのと有りければ
色詞「景清打ち笑ひ是は迷惑、其の大宮司の娘小野の姫にはしかしか物をも言はばこそ、八幡八幡そうしたことで更になし、そちならで世の中にいとしいものが有るべきかと、なほももたるる袖枕阿古屋も心打ち解けて、思ふ余りの恋いさかひ犬が食ふとやこれならん」

そこへ阿古屋の兄十蔵が景清を訴人する話を持ち込んでくる。景清の首にかけられている莫大な懸賞金が目当てなのである。だが阿古屋は「たとへば日本に唐を添へて給はるとも訴人がなるべきか」といって、烈しく拒絶する。

だが女心とは悲しいものだ。恋敵の小野の姫から景清に当てられた手紙を読んで逆上してしまうのだ。

詞「かねがね聞きし阿古屋といへる遊女に御親しみ候か、未来を賭けし我が契りいかが忘れ給ふかとこまごまとぞ書かれける、
地色「阿古屋は読みも果て給はずはっとせきたる気色にて、うらめしや腹立ちや口惜しや嫉ましや、恋に隔てはなきものを遊女とは何事ぞ、子のある仲こそもことの妻よかくとは知らではかなくも、大切がりいとしがり心をつくせし悔しさは人に恨みはなきものを、男畜生いたづら者ああ恨めしや無念やと、文ずんずんに引き裂きて、
スエテ「かこち恨みて泣き給ふ」

こうしてすっかり嫉妬の鬼となってしまった阿古屋は、一時の心の迷いから、「せめて訴人してなりとも此の恨みを晴らしてたべ」と、兄による夫の訴人に手をかしてしまう羽目になるのだ。

これを知った景清は怒り心頭に発する。景清は「今宵の訴人は妻の阿古屋兄の十蔵と覚えたり、おのれ数年の恩愛を振り捨て大欲にふける愚人共」といって、ただただ妻の所業を単純に怒るばかりなのだ。

ここから阿古屋の悲しい運命が展開していく。


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