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堀川波鼓三段目


堀川波鼓の三段目は妻敵討の場面である。これにはお種の夫彦九郎のほか、お種の妹お藤、彦九郎の妹ゆら、彦九郎とお種の養子文六も加わる。

彦九郎は当初自分一人で十分だと断ったのであるが、「各々一度にわっと泣き、それはあまりに情けなし、我等がためには姉の敵、我がためには母の仇、いや我がためにも兄嫁の敵を見捨てて置かれうか、さりとては連れてたべと、三人一緒に手を合わせ」て懇願したので、ともに敵を討ちに出かけるのである。

妻敵討ちというのは、女の姦通の相手を、夫が成敗するというものである。封建道徳のもとでは、女が姦通を犯した場合、当の女を殺すだけではたりず、相手の男も殺すことが求められた。それほどに姦通とは、犯した当事者犯されて間男となったもの双方に過酷な試練を課したわけである。

この作品で間男役を演じるのは、文六の鼓の師匠源右衛門である。だが容易に見て取れる通り、源右衛門は自分からお種を誘惑したわけではない。むしろお種のほうから仕掛けたわけであるから、源右衛門はある意味で被害者といえなくもない。

それでもお種と寝る羽目になり、結果としてお種を妊娠させたわけであるから、社会的には罪が重いということになる。

一方お種を姦通に走らせた原因を作ったともいえる床右衛門については、何の咎めもない。道理からいえば、お種を姦通に走らせた床右衛門のほうが、むしろ罪は重いとさえいえる。

お種は床右衛門からの誘惑を避けようとして、その場を言いつくろったのだが、それを源右衛門に知られてしまったと錯覚した。そこで源右衛門を丸め込もうとするうちに、酒の勢いも手伝って、ただならぬ関係に落ち込んでしまうのだ。だから、源右衛門一人が成敗されて、床右衛門が無事に済むのは理屈がとおらぬともいえるのだ。

こんな背景もあって、三段目の妻敵討ちの場面は、やや冗長な感じがする。姦通劇という性格からして、近松はここに妻敵討ちの場面を差し挟まねばならぬと思ったのかもしれぬが、なくもがなの印象が否めぬところだ。


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