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堀川波鼓二段目



「さても行平三年が程,御徒然の御船遊」で始まる堀川波鼓の導入部は、謡曲「松風」からの引用である。これにはそれなりの意味がある。謡曲では、松風・村雨の姉妹が行平を巡って恋の思いに焦がれるという物語になっているのを、近松はここで、お種とお藤の姉妹の関係に投影しているのである。そうすることで、一人の男を巡る姉妹の複雑な感情を、陰影をつけて描き出すことに成功したといえる。

謡曲では、行平との恋の主役は姉の松風である。妹の村雨のほうは、行平との恋を陰に忍ばせながら、姉の恋を盛り立てる役に徹している。

近松のこの作品では、姉のお藤は夫彦九郎を深く愛しながら姦通の罪を犯す、それに対して妹のお藤が、彦九郎を誘惑することによって、姉を救おうとする設定になっている。彦九郎にも不倫の汚名を着せることによって、姉の罪を相対的に軽くしようとの配慮だ。

つまり、お藤は彦九郎を愛するがゆえに誘惑するのではなく、姉を救うための最後の方便として、彦九郎を誘惑するのだ。

徳川時代にあっては、姦通は、死を以て以外に償いようのない重大な罪であった。姦通を犯した妻には、もはや死ぬこと以外に道はない。だから一段目で姦通の場面を設定してしまったこの作品にあって、二段目以降に起こるべき展開は、犯した罪がどのように罰せられたかということでしかありえない。

しかしそれだけのことなら、観客の感動を呼び起こすような劇的な作品にはなかなかなりえないだろう。近松はそこに姉妹の愛を持ち込むことで、単なる姦通劇ではなく、人間の情愛と葛藤の劇を展開しようとしたのだ。

国元に帰ってきた彦九郎は、妻の変化に気づかない。妻のほうでも夫が大事だから、夫婦の細やかな愛に身をささげている。しかし狭い世間のことだから、お種の姦通の事実はすでに人々に知れ渡っており、なかなかそのことに気づかない彦九郎に対しては、真苧の贈り物に使ったりして、露骨な揶揄が行われる。真苧は間男の隠喩である。

彦九郎がお種の姦通を知ったら、立場上成敗せずにはすまないだろう。どんなに妻を愛していても、妻が姦通したとあっては、夫は妻の死を求めざるを得ないのだ。

お種のほうは、姦通の罰として、すでに四か月の身重になっている。姦通が露見するのはもはや時間の問題だ。このせっぱつまった状況の中で、妹のお藤が意外な行動に出る。彦九郎を誘惑するのだ。そのことを知ったお種は激しく怒る。そのお種に対してお藤は辛い思いを告白する。

もしも彦九郎が自分の誘惑を受け入れたならば、お種は体よく離縁できるかもしれない、そうすれば姦通の罰としての死を逃れ、腹の中の子を、路傍でなりと生むことができるかもしれない、こんな切ない願いをかなえようとして、世間を前に狂言芝居を打ったのだと説明するお藤の言葉に、お種は絶句する。

周囲からのあてこすりや、実の妹からの談判に押し流される格好で、彦九郎もついに事実を認めざるを得なくなる。それは妻に対して、死を与えるということを意味する。

お種は姦通をしたかもしれないが、それは自発的な意思に基づいたものではなかった、これが近松が登場人物に喋らせている表向きの立場だ。酒の勢いも手伝って、確かに色におぼれた点は否めないとしても、お種の彦九郎への愛情には、何の曇りもなかったのだ、そうもいわせている。

だからたった一度の過ちをもとに、死の成敗を課すのはあんまりではないか、これがどうも、近松がこの作品に込めたメッセージだったように思える。


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