日本語と日本文化


あの世への道行:心中天網島下段


心中にはたいてい道行がつきものだ。道行とは人間の移動としての旅をうたった部分だ。日本の演芸は、謡曲をはじめこの旅を大きな要素として組み込んでいる。旅を組み込むことで、演劇に重層的な風格を生じさせているのだ。

近松の道行は、同じ場所の移動でも特別な風格を持っている。それは俗なる場所から聖なる場所への移動、この世からあの世への移動ではないか、そう指摘したのは富岡多恵子だ。

心中天網島という作品においても、近松は「名残の橋尽くし」という道行で、一曲を締めくくっている。これは小春と治兵衛とが、曽根崎新地の大和屋を出てから死に場所を求めて網島の大長寺へ至るまでのおおよそ一里(約4キロ)の道行の場面を描いたものである。

単に死に場所を求めるだけなら、初冬の肌寒い夜中に、一里の道のりを歩かなくてもよいではないか。どうせ死んだあとには、誰かに無様な死にざまを見られることとなるのだから、ガサ藪の中で死んでも、あるいは蜆川の川原で死んでも、同じことではないか。

だが心中をする男女にとっては、決して同じことではない。心中することは単に肉体を滅ぼすことではない、肉体を滅ぼすことによってこの世から逃れ去ることにはとどまらない、それはこの世の苦悩から浄化されて、あの世の清浄な世界に生まれ変わることを意味する、富岡はこのように言う。だからこそ、この不幸な男女は、道行という移動を通じて、この世の穢れを洗い落とし、あの世に生まれ変わる準備をする必要があった。道行はそうしたプロセスを完成するために、不可欠の行動だったのだ。

フシ「走り書、謠の本は近衞流、野郎帽子は若紫、惡所狂ひの身の果は、かくなり行と定まりし、釋迦の教も有ことか、見たし憂身の因果經、明日は世上の言草に
スエテ「紙屋次兵衞が心中と、仇名散り行櫻木に、根彫葉ほりを繪双紙の、
長地「板摺る紙の其中に、有共しらぬ死神に、誘はれ行も商賣に、疎き報と觀念も、とすれば心ひかされて、
小オクリ「歩み惱むぞ道理なる。
フシオクリ「此は十月十五夜の、
フシ「月にも見へぬ身の上は、心の闇の印かや。」

こうしてこの不幸な男女は、死に場所を求めて一里の道筋を手を携えながら歩いていく。彼らは歩みを進めるごとに自分が浄化されるのを感じる。その先には浄土が待っている。この世でこそ辛い定めに翻弄された二人だが、あの世ではきっと夫婦として生まれ変わることができるに違いない、そうした信念が二人の意思を支えている。

「何か歎かん此世でこそは添ず共。未來はいふに及ず、今度の/\、つつと今度の其先の世迄も夫婦ぞや」二人がこういいながら、心中することに何らのためらいも感じていないのは、来世復活への強い信仰があるからだ。

そしていよいよ心中という段になると、二人は剃刀で頭をそって法体になる。

地色「アヽ嬉しふござんすと小春も脇指取上げ、洗ひつ漉つ撫付し、酷や惜げも投島田、はらりと切ツて投捨る。枯野の芒夜半の霜、
フシ「共に亂るる哀れさよ。浮世を遁れし尼法師、」

法体は現世にあって、なお現世を解脱することに通じる。髪をおろし坊主になることで、彼らはこの世のあらゆる穢れから解放されて、晴れて清浄な体で、あの世へと旅立つことができるのだ。

このように、近松にあっては、道行はこの世からあの世への移動を象徴する宗教的な儀式としても機能していたといえる。

ところで、この道行を、近松の場合とは正反対に、あの世からこの世への移動として描いたものに、説教節のをぐり判官がある。をぐりは、いったん地獄へ落されたが、閻魔大王の慈悲によってもう一度この世に生き返る。だがそのまま即座にというわけにはいかない。いったん藤沢でゾンビーのようによみがえった後、東海道を移動して大峰まで至り、そこの湯につかって初めて人間として生き返る。

これは方向こそ正反対だが、この世とあの世との間の移動に、道行というものが不可欠のプロセスとして介在する点では、よく似た装置と云える。

説教節にあっても、近松の場合にあっても、道行には、単なる場所の移動を超越した、存在の神秘が込められていた、とそういっていいかもしれない。


    

  
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