日本語と日本文化


熱狂はこうして作られた:メディアの戦争責任


NHKスペシャル「日本人は何故戦争へと向かったのか」第3回は、日中戦争から太平洋戦争にいたる過程でメディアが果たした役割について検証している。題して「"熱狂"はこうして作られた」

これまでは、外務省をはじめとした官僚・政治家および戦争を遂行した軍部に焦点を当て、当事者の残した記録を用いて、日本が戦争へと突き進んでいった過程とそのメカニズムというべきものを検証してきたが、今回はメディア関係者が残した肉声テープなど、一級歴史資料を用いて、メディアの戦争責任について追求している。なかなか興味深く見た。

番組はまず、戦争報道とメディアの営業成績との深い関係を紹介することから始める。満州事変が起きた1931年以降の数年間で、大新聞の購読数は400万から800万へと飛躍的に部数を伸ばしていることからわかるように、戦争報道はメディアにとっては、業績拡大の最大の追い風となった。昭和恐慌で極端に購読者数を減らしていた大新聞にとって、戦争報道がいかに大きな意味をもっていたか、その辺の事情を伝えたものだ。

このことから推測されるように、メディアはニュースを売るための材料として、戦争を利用した節がある、そのことはメディア本来のあり方から外れているばかりか、戦争についての国民感情を煽り立て、冷静な議論ができる状況を妨げた、よって軍部や政治家だけでなく、メディアにも大きな戦争責任がある、これがこの番組の基本的な姿勢だ。

満州事変が起こるや、大新聞はおおむね軍部を応援し、中には満蒙生命線などという言葉を使って、日本による満州侵略を煽り立てる論調もあった。毎日新聞が最も強硬な主戦論者で、批判的であった朝日新聞は不買運動を仕掛けられるような状況だった。

リットン調査団が満州事変における日本のやり方を批判すると、大新聞は揃ってそれを攻撃し、松岡が国際連盟を脱退したときには、拍手喝采してその快挙をたたえた。1937年の日中戦争以降は、挙国一致報道の名目で、大新聞はこぞって戦争礼賛の報道を続けた。日独伊三国同盟の有用性を主張し、鬼畜米英の機運を盛り上げたのも、大新聞の連中だった。

こういうわけで、戦争中の日本のメディアは完全に翼賛化していった。そこには報道についての崇高な理念も、真実に対する最低の敬意もなかった。あるのは非合理的な熱狂だけであった。

南京が陥落したときは、メディアは歴史的な快挙として喜ぶだけで、南京でどんなことが起きたかについては、詳細に報道しなかった。汝州攻撃に際しては、メディアが率先して一大殲滅戦を煽り立てた。

日本の大新聞をはじめとするメディアには真のジャーナリズムが存在していなかった。権力者のいいなりになり、そのお先棒を担ぐことによって、新聞の売れ行きだけを追求する、それが戦時中のメディアの姿だった。こう番組は総括していた。


    

  
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