日本語と日本文化


永井荷風の非政治的構え:小熊英二の戦後日本思想論


永井荷風を転向論の文脈で論じるのは非常に奇抜な発想に思える。しかし荷風が戦時中、筆を折ることで戦争への協力を一切しなかったのは、言われるまでもなく事実だ。戦時中にはほとんどすべての文学者が戦争に協力したわけだし、その中には大勢の転向者も含まれていたわけだから、荷風のこうした態度が非転向のケースとして受け止められたのは無理もない。そんなわけで、敗戦直後に転向問題が大きく取り上げられた際、荷風は正宗白鳥や谷崎潤一郎と並んで、非転向の文学者として取り上げられたのである。宮本百合子や中野重治が観念に殉じた非転向者だったとすれば、荷風等は肉体に忠実な非転向者だったというわけである。

小熊は小田切秀雄の荷風論を取り上げて、当時の荷風評価の特徴のようなものを論じている。小田切は敗戦直後の1946年1月の論考「文学精神のために」のなかで永井荷風を取り上げ、荷風が大逆事件のことに触れた小説「花火」に言及しながら、荷風の非政治的な姿勢について批判した。小田切が「花火」から引用したのは、次の一節である。

「わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレフュー事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。その頃からわたしは煙草入をさげ浮世絵を集め三味線をひきはじめた。わたしは江戸末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来ようが桜田御門で大老が暗殺されようがそんな事は下民の与り知つた事ではない---否とやかく申すのは却て畏多い事だと、すまして春本や春画をかいてゐた其の瞬間の胸中をば呆れるよりは寧ろ尊敬しようと思立つたのである」

つまり荷風は大逆事件に直面して政治の怖さを思い知り、それ以後は政治と縁を切ってもっぱら娼妓や踊り子とばかり交際し、そのことで結果的に戦争協力を行わなかったが、そうした姿勢は褒められたものではなく、「政治に対する素人根性」だと批判した。そして「戦争に対してちっとも責任を感じていないような態度で、こんにちジャーナリズムに進出する傾向を苦々しく思う」と言った。

こうした小田切の荷風批判を、小熊もある程度認めているようである。ということは、荷風はたしかに転向はしなかったけれども、だからといって戦争を批判することもなかった。そういう身でありながら、戦後になってから、あたかも何ごともなかったように戦争をやりすごし、戦争について発言しないで文学を語るのはあまりにも身勝手だ、というわけであろう。

しかし、これは荷風に対してあまりにも一面的な見方ではなかろうか。荷風が戦時中沈黙していたことを以て、それを戦争を暗黙に認めていた証拠だと断定するのは行き過ぎである。荷風が日本の戦争に大義がなく、したがって負けるに違いないし、また負けた方がよいとまで考えていたことは、断腸亭日乗などを読めば明らかなことだ。ただ戦時中には、そういう考えを公にすることはまずい事態につながることを意味していた。荷風はそれを十分にわきまえていたから沈黙を守ったのだし、ある時にはその沈黙の埋め合わせをするように、戦争への鬱憤を日記のなかで表出したこともあったが、そんなことでも自分の命の危険につながることを恐れて、日記を密かに下駄箱の底に隠したりもしたのである。

荷風という人間は、上の「花火」からの引用にも見えるように、徹底して非政治的な人間だった。そういう姿勢がどのようなところから出ているかは別として、こういう姿勢を持った文人というのは、日本の歴史のなかで一つの伝統としてあったわけだし、それに荷風が魅力を感じて、自分もそのようにありたいと思ったことには、それ相応の事情を認めてしかるべきである。

世の中には、政治的な人間と非政治的な人間との二つのタイプの人間があるものだ。またそうあってしかるべきである。世の中すべてが政治的な人間ばかりで、しょっちゅう互いに政治のことを論じ合っているというのは、あまり感心した眺めではない。一方では政治を無視して幽玄の境地に遊ぶような人間がいてもよいし、またそうしかるべきである。

戦争のような非常事態においては、誰もが自分の身にその影響を感じざるを得ないわけだから、そう幽玄の境地に遊んでばかりもおられまいが、だからといって、政治のことばかりしゃべっているというのも息苦しい。荷風のように、とっくの前から非政治的な生き方をしてきた人間にとってはなおさら、いざ戦争になったからといって、今までの生き方を捨てて、戦争々々と叫ぶようにはなれないだろう。

荷風は、公の発言は慎んだけれども、戦争を忌避する気持ちは誰にも負けなかった。それゆえ日本の敗戦に際しては、開放感を抱いたのである。その開放感が、戦時中に鬱屈していた思いを一気に爆発させることにつながったわけで、それを以て身勝手だといって責めるのは片手落ちというものだろう。

繰り返して言うが、人間には政治的な人間と非政治的な人間がいて、その両者が共存することで世の中は多彩なものになるし、また生きやすくもなる。荷風の場合にはたまたま非政治的な人間の側に属していて、普段は政治を語らず、また戦争のような非常時に際しても、政治を語るのは自分の本分ではないとして沈黙を守り続けただけというのが実際のところだと思う。

ここで冒頭に触れた転向論との関係に舞い戻ると、荷風は政治的な意味での転向とか非転向とかいったこととは無縁であったと言うべきだろう。非転向というと、困難に耐えて自分の政治的・思想的節操を守り通したという意味合いが強くなるが、荷風個人にはそうした意気込みはない。彼はただ単に自分の日頃からの生き方に忠実だっただけである。




  
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