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庇と縁側:日本の建築文化


日本の伝統的な木造家屋の特徴は、深い庇をもつことだ。これは平安時代の寝殿造り以来の伝統といってよい。寝殿造りにあっては、母屋を支える軸組の延長に柱を並べ、その下に生じた空間を庇の間として、母屋と一体のものとして使っていた。それがごく最近まで連綿と続いていたわけだ。

近世以降の建物では、庇の下にある空間は縁側として用いられることが多かった。母屋は床を畳で敷いていたのに対して、縁側は板敷きが基本であり、外部に向かって開放されているのが普通だ。母屋の畳床との間には、障子の引き戸が設けられ、外部空間とは、雨戸を立てることによって区切ることができた。

これは壁で構造を支える様式の建物とは基本的に違う点だ。最近日本でも洋風の建物が普及し、家の周りを壁で仕切り、その一部に窓をはめるという方法が多数派になりつつある。そこには縁側という外部に開かれた独自の空間が入り込む余地はない。

縁側は、昼は外部に連続した空間であるが、夜は雨戸を閉め切ることによって家の内部空間に取り入れられる。内部と外部とが断絶と連続の両面でつながっている世界でも珍しい空間配置といえる。

縁側は多くの場合、南に面した日当たりのよい場所に作られる。だから年寄りが一日を過ごすには非常に優しい空間だといえる。外に出なくとも外の雰囲気が味わえる。開放されているから外部の風がそのまま入ってくる。冬は日を浴びて暖かく、夏は風を通して涼しいのだ。

縁側はまた、それぞれの部屋と障子を隔てて直接つながっている。だから部屋との間を自由に出入りすることができる。地震がおきれば直ちに外部へ身を避難させることもできる。

筆者も少年時代には、このような縁側のある家に住んでいた。家の中にいながら外にいるような気分になれるので、なんといっても居心地がよい。縁側に寝そべって一日中読書をしてあきない。肩がこると縁側の外の石においてある下駄を引っ掛け、庭で柔軟体操をしたりした。

縁側の一端には和式便所が設けられていた。昔の家は水洗ではなかったから、母屋の中に設けることが憚られたのだろう。便所は家の外に設けられるか、縁側の端に設けられたりしていたものだ。

縁側がバルコニーと異なるのは、バルコニーが家の外部の空間なのに対して、縁側が外部と内部を兼ねた空間だという点にある。

こうした曖昧な空間がわれわれ日本人の居住文化の核心をなしていたということは、いろいろな意味で考えさせられるところが多い。やがてこのような文化が消えてなくなってしまうと思うと、複雑な感慨にうたれる。

ちなみに筆者がいま住んでいる家は、本体は鉄骨作りの洋風の建物だが、南側一面に深いウッドデッキを設けることによって、縁側に類似した空間を持たせている。縁側の天井や雨戸に当たる部分はガラス張りにすることによって、温室のような感じになっているが、家内はこの空間をもっぱら、洗濯物を干すのに使っている。


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