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襖と障子:日本の建築文化


今日の多くの家においても、襖と障子は広く用いられている。襖は主に部屋と廊下の間、あるいは二つの部屋の間仕切りといった具合に、家の内部に向いているのが普通である。それに対して障子のほうは、縁側との間あるいは窓とセットにしてという具合に、家の外部に向かってとりつけられている。もともと明り取りのために開発されたという経緯があるからだ。

襖が部屋の間仕切り用に常設されるようになるのは、平安時代の中ごろ、寝殿作りの建物においてであった。襖はもともと寝殿造りの広い空間において、臨時的な間仕切りあるいは建具として用いられていたが、引戸が普及するのに伴い、常設の戸として固定されるようになったものである。

障子が登場するのは平安時代の末期からである。その頃までは襖も障子と呼ばれていたが、今日と同じようなかたちの障子が現れると、襖と区別するために明障子と呼ばれた。そのうちだんだんと、明障子の方を単に障子と呼び、従来の障子は襖と呼んで、明確に区別するようになった。

障子は明り取りのために、厚い和紙の代わりに薄い和紙を張ったものだ。外側に向かって取り付けたのは、光を室内に取り込むことが目的だったからだ。書院造の建物が普及し、建物内部に書院と呼ばれる接客や学問の為の部屋が設けられるのに伴い、障子も広く普及していった。

障子はガラス窓と同じような機能を果たすといっても、そこにはおのずから差がある。ガラス窓はカーテンでふさがない限り、透明なガラスを通じて外の光景と連続しているという感覚をもたらす。障子は閉めていても光を通すが、外の光景は見えない。あえて外の光景を眺めたいときには、障子を開けて直接外に目を向けねばならぬ。

障子を通じて入ってくる光は、ガラス窓に比べやわらかい。このことが部屋の内部に独特の陰影を作り出す。日本の家は庇の深いことに特徴があるが、その深い庇の奥に、紙でできた障子があるために、外界の光は二重のフィルターを通じて部屋の中に入ってくる。一日の中でも時間の移り行きに従って、入ってくる光も表情を変える。

日本人は障子というものを持つことによって、外界の光と複雑なかかわり方をしてきた。その辺の事情は谷崎潤一郎が「陰影礼賛」の中で説いているとおりである。


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