日本語と日本文化
HOME | ブログ本館東京を描く日本の美術日本文学万葉集プロフィール | 掲示板




日本的宴会と本膳料理


どの民族も、宴会を巡る文化というものを持っているものだ。宴会を催すには、目的とする行事があり、酒食の体系があり、そして宴会のしきたりとしての儀礼がある。日本もまた例外ではない。日本人は古来、宴会を「うたげ」と称し、節々の行事に合わせてとりおこなってきた。

行事の中心をなしたのは、正月や節句などの節会や、先祖の霊を迎えての神事であった。そこで日本人は、直会と呼ばれる神人共食の儀礼や、食事の体系を作り上げてきた。その食事の体系が、一つの完成形として確立したのが「本膳料理」とよばれるものである。この料理は、宴会の儀礼や進行と深くかかわりあっており、単に料理の形式にとどまらない文化的な色彩を帯びている。

本膳という言葉は南北朝時代まで遡るようだが、それが「本膳料理」という形で完成したのは室町時代後期と思われる。本膳と呼ばれる膳を中心として、三、五、あるいは七膳、場合によっては十以上もの膳に料理を並べて饗応する形式のものである。日本の食事の様式は、伝統的に銘々膳とよばれる個人ごとの膳で食事をとるというものであり、その伝統が「本膳料理」というものに結実した形である。

室町時代は主従の結びつきを重んじた時代であったから、本膳料理は主君を供応するためのものとして発達した。主君を家に招くことを「御成」という。そこで家の主人は、本膳料理を中心として、供応の儀礼としての式三献、本膳による食事、そして本膳のあとの酒宴といった具合に供応にあい勤めた。供応は身分の高いものを迎えるときには夜を徹して行われ、その間に猿楽などの芸能を楽しむこともあった。

本膳料理の内容はどのようなものであったか。「永禄四年三好亭御成記」によれば次のようになっている。(熊倉功夫の研究を引用)

まず本膳と呼ばれる膳には、湯漬け、塩引き、焼き物、桶、和え物、香の物、蒲鉾、フクメが乗っている。飯は湯漬けなので汁はない。二の膳は、蛸、海月、鯛汁、田螺、カラスミ、海老、集汁、三の膳は、コサシ、カサメ、鵠、鳥、鯉、四の膳は、酒ヒテ、貝、ヲチン、鯨、五の膳は、鮨、鶉、こち、するめ、六の膳は、ハム、赤貝、鮒、七の膳は、熊引、鴨、鮒といった具合である。これに菓子として、麩、クルミ、柿などがついた。

各々の膳は基本的には、一汁三菜であり、場合によっては五菜になったり、七菜になったりしたらしい。いづれにしても、大変な量である。これを時間をかけてゆっくり食い、また食いながら酒を飲んだのであろう。

本膳による食事が終ると、次は本格的な酒宴が始まる。酒宴の席にも当然膳が運ばれた。これは式三献の延長として、四献から始められ、体力の持つ限り延々と続けられる。主君にしても、家の主人にしても、忍耐のいる事柄だったらしいのである。

酒宴の間には猿楽などが演じられ、余興が加わったのでもあろう。

(参考)熊倉功夫「日本料理における献立の系譜」


HOME日本民族史日本の食文化次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである