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蟲愛づる姫君(三):堤中納言物語


かゝる事世に聞えて、いとうたてある事をいふ中に、ある上達部の、御子うちはやりて物怖ぢせず、愛敬づきたるあり。この姫君のことを聞きて、「さりとも、これには怖ぢなむ」 とて、帶の端の、いとをかしげなるに、蛇の形をいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて、鱗だちたる懸袋に入れて、結び附けたる文を見れば、  
  はふはふも君があたりにしたがはむ長きこころのかぎりなき身は
とあるを、何心なく御前に持て參りて、 「袋などあくるだに怪しくおもたきかな」 とてひき開けたれば、蛇首をもたげたり。

人々心惑はして詈るに、君はいと長閑にて、 「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。」 とて、 「生前の親ならむ。な騷ぎそ」 とうちわなゝかし、かほゝかやうに、「生めかしきうちしも、結縁に思はむぞ、怪しき心なるや。」 とうち呟きて、近く引き寄せ給ふも、さすがに恐しく覺え給ひければ、立處、居處蝶の如く、せみごゑに宣ふ聲の、いみじうをかしければ、人々逃げ騷ぎて笑ひゐれば、「しかじか」 と聞ゆ。

「いと淺ましく、むくつけき事をも聞くわざかな。さる物のあるを見る見る、皆立ちぬらむ事ぞ怪しきや」 とて、大臣太刀を提げもて走りたり。よく見給へば、いみじう能く似せて作り給へりければ、手に取り持ちて、 「いみじう物よくしける人かな。」 とて、「かしこがり、譽め給ふと聞きてしたるなめり。返り事をして、早く遣り給ひてよ」 とて、渡り給ひぬ。

人々、作りたると聞きて、 「けしからぬわざしける人かな」 と言ひ憎み、「返り事せずば、覺束ながりなむ」 とて、いとこはくすくよかなる紙に書き給ふ。假字はまだ書き給はざりければ、片假字に、  
  「契りあらばよき極樂に行き逢はむまつはれにくし蟲の姿は
福地の園の、とある。

(文の現代語訳)

このことが世間の噂になり、ひどいことを言う人がいる中で、ある上達部の御曹司で、勇ましく物おじせず、ハンサムな人がいた。その人が、この姫君のことを聞いて、「とはいえ、これには驚くだろう」と、変わった模様の帯の切れはしを、ヘビの形に似せて、動く細工までしたものを、鱗模様の袋に入れて、それに文を結びつけたが、それには次のような歌が書かれていた。
  這い這いしながらあなたに従いますよ、いつまでも長く変わらない我が身ですから
侍女がそれを何気なく姫君の前に持ってきて、「ただの袋なのに、開けるだけでも重たいですよ」と言いつつ開けたところが、ヘビが首をもたげたのだった。

人々がびっくりして騒いでいると、姫君はたいそうのんびりとして、「なもあむだぶ、なもあむだぶ」と口づさみながら、「これはわたしが生まれる前の親だったかもしれない、だから騒がないで」とは言ったものの、体を震わせ、顔をゆがめて、「生きている間は、親戚だと思いましょう、それにつけてもあなたたちは見苦しいですよ」とつぶやきながら、近くに引き寄せられたのだった。とはいえ、さすがに恐ろしく思ったので、立居振舞も蝶のように落ち着きがなく、蝉のような声で話されるのがたいそう滑稽なので、人々は逃げ騒いで笑いながらも、このことを姫君の父君に報告したのだった。

「たいそう浅ましく、気味の悪いことを聞くものだな。そんなものがあるのを知りつつ、みな逃げてしまうということこそおかしいではないか」と言って、父君の大臣が太刀を捧げて走ってきた。そしてよくご覧になると、それはヘビの姿に非常によく似せて作ったものだとわかり、手に取り持ちながら、「これを作った人は大変な策士じゃ」と言った。そして、「姫が利口ぶって、虫を褒めていると聞いて、こんなことをしたのだろう。返事を書いて、早く渡しなさい」と言いつつ、退出されたのだった。

人々は、これが作り物と聞いて、「へんなことをする人だ」と罵っていたが、姫君は、「返事をしないでは、都合が悪いでしょう」と言って、たいそうかたくて飾り気のない紙に、返事の歌を書かれた。まだ仮名文字は書けなかったので、カタカナで次のように
  ご縁がありましたら極楽でお会いしましょう、あなたが虫の姿のままではご一緒するわけにもいきませぬ
そしてこの歌に、福地の園の、と書き加えたのだった。

(解説と鑑賞)

この段は、変った姫君の噂を聞きつけたある上達部の御曹司のいたずらが描かれている。この御曹司は、ヘビの形の作り物をうろこの模様の袋に入れて姫のもとにとどけたのであったが、それを本物のヘビと勘違いした姫君は、怖さが半分興味が半分と言った具合で、さすがに持てあます。

父君が立ちを下げて様子を見に来ると、そのヘビが作り物であることがわかる。そして、こんな悪戯をされるのは、姫の変った趣味を巡ってへんな噂が立っているからだ思う。一方、姫君のほうは、これくらいのことでは一向にへこたれない。


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